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この写真、わかりますかね?
運命を生かすためには
昨日の続きを勝手に書かせていただきます。(笑)
同じようなホロスコープを持っていても、そのチャート傾向を魂の向上に使うこともできれば、
〝転がり落ちるように使うこともできる〟
ということを、お知らせしました。
この出来事を説明する良い事例が、一卵性双生児のチャートです。
一卵性双生児って、まあ、個々の事例で異なるとは思いますが、結構、数分の差でしか生まれていない。
そうすると、ホロスコープはほとんど同じものになります。
事実上、まったく〝差〟がないこともあります。
しかし、たどる運命は違う。
一卵性双生児ということは、DNA的に100%同じではないかもしれませんが、DNA情報もほとんど共有しています。
おまけに育てられる環境も、まあ、ほぼ同じですよね?
同じ生年月日、出生時間も非常に近い人同士の〝その後の現実がなぜ違うのか〟という命題で、よく解説されるのは、
環境が違う
親御さんが違う
ということがあります。
これはもっともな理論で、生年月日時まで同一で同じ東京に生まれても、親御さんまで同じチャートとを共有しているということは、
まず、ありません。
私もさすがに、この親御で同じチャートという事例には遭遇したことがありません。
(ただし、親の特徴を子は引き継ぐことが多いので、同じチャートの子らから見たそれぞれの親御さんが、ある程度類似した特徴を持っていることはあり得るというのは、普通、あるだろうと思います)
こういう一卵性双生児でも、結婚の時期が大きく違ったり、発揮できる才能が違うということはよくあります。
これもまた、論理的な説明が可能で、これは占星術講座の上級クラスで、先日解説したばかり。
講座の中でしか説明していないことを、ここでぶっちゃけることはしませんが、それは理由がある。
それに、まったく同じようなチャートを持っていても、それを生後、成長後、どのように生かすかどうか、というのも、DNAとか、そういう問題ではなく、
その人の意識の問題
という、強力な論拠となります。
こういう事例も、ゼファーはここまで結構見てきたとお考えください。
双子でなくても、
「このチャート、どっかで見たな……」
「え? リサーチしたら過去に鑑定した別な人!」
「え? チャートはほぼ同じなのに、こんなに違うじゃん!」
というような事例もあったわけです。
ただ、違っていても、そこにはチャート上、説明できる〝同じ傾向〟はあるのです。
たとえば、火星業界で生きていくのなら、一人はスポーツで頑張っているが、一人は工業ジャンルであるとか。
どちらも同じ火星ですからね。
ただ、そこでどのような成果を出しているか、とか、その人自身がどれくらい幸せになっているか、とか。
そこにはたいてい違いがあるのです。
それはもちろん、環境とか家庭とか、そういう背景的なものは作用しています。
でも、ホロスコープがほぼ同じであれば、違っていても、それぞれの環境的なものも説明できます。
たとえば、ですが、
・月が天王星とスクエア
というものがあるとき、
・母親がヒステリック
というケースもあれば、
・父親の転勤などで、生活環境が幾度も変わった
という経験をする人もいます。
(これは、わかりやすい〝たとえば〟なので、必ずそうなるというのではありません)
このアスペクトは、その人の人生にかならず何らかの影響を及ぼしますが、そのアスペクトから何を受け取り、どう対処していくかというのが、
本人の自由意志
です。
すごく細かいところから、大局的なものも含め。
生活環境や、親の差もほとんどないという、わかりやすい事例が一卵性双生児なのです。
親が何か意図的な差別をしない限り、ですが、そこにはほとんど大きな差は生じないはずなのに、結果的には結構な差が生じていることがある。
一卵性双生児の場合は、特殊な考えをしないといけないので、ここでは触れません。
(前に書いたことはあるかも?)
今は同じようなチャートを持つのに、結果的にそれが大きな差になっている、というケースについて。
その〝差〟がどこから生まれるのか?
というと。
これはもう、ほぼ〝受け止め方〟なのです。
こちらの記事でもちょこっと書きましたが。
これに関係しています。
同じチャートでも幸福になれている人と、そうでない人の差。
そこは、結構、紙一重。
逆に言うと、誰でもすぐに幸福な方へ移れる、反転できる可能性もあったりするのですが。
・自分ばかりが被害者と考える(人のせいにする)
・自分の利益ばかりを考える
というようなことが、運勢をうまく生かせない代表的なものです。
この二つの柱が、メッチャ強い。
とくに前者。
自分が常に被害者という意識があると、運勢は向上しにくい。
あ、ただ、本当に、リアルに、誰かや何かの犠牲になって被害を受けるということはあります。たとえばハラスメントとか、DVとか、戦争被害とか。
そういう、極端な明確な被害は別とお考えください。
人のせいにする、ということを( )で書いていますが、実は主眼はそこにあります。
たとえばですが、親が甘やかして育てた、だから自分はこうなった。
というような思考が典型的なものです。
まあ、成人も超えました、三十路にもなりました。
そういう男性が、「オレが今こうなのは親のせいだ」と思っているとしたら、どうでしょうか?
その親御さんに何も問題はない、ということは、なかなかないと思います。
ゼロではないにしても、父も母もそれぞれに子どものためを思った行動をしているのに? 働いて、愛情もかけている。
そこに誤解とか齟齬はあるかもしれないのですが、まあ、常識的な範疇というか、どこの家庭にもありがちなものであるときに、
たいていの方は、その男性に対して
「いい年をして、なんで親のせいにしているの?」
と考えるでしょう。
これがものすっごい毒親であるとか、DVを繰り返してきた親とか、愛情を一切示さないとか、なにか異常な親御さんのもとで育ったのなら、これはまったく違う話です。
そういう事例と一緒くたにはできないと思っています。
ただ、意外に、
誰かのせいにしたいのです、人は。
自分がうまくいかないこと、幸せになれないこと。
これは一部の事例ですが、それ以前は普通だったのに、うまくいかないことが続き、いつの間にか、子どもの記憶の中で、〝親が悪かったから〟というふうにデータ改ざんされるケースすらあります。
記憶すら、人は、自分に都合の良いニュアンスに改変することがあるのです。
「自分に都合の良い」って、つまり自分のエゴが傷つかないように、という自己防衛なのです。
誰だって自分を認められたい。
自分がダメだと思われたくない。
そういう思いがあるのです。
そこから、〝想い〟の中で、自分以外の誰かを悪者に設定したくなっちゃうのです。
これは、わかります。
でも、そこと向き合わねばなりません。
つまり、自分の弱さと。
弱くていいんです。
誰だって弱い部分があります。
そこを受け入れましょう。
じつは、それが自分が幸福になっていく大きな鍵だったり、また、
同じようなホロスコープの特徴が生かされるかそうでないか、
という、大きな〝差〟となってきます。
言い方はアレですけど、
ダメな自分でいいじゃん
とうことなのです。
ゼファーもダメな部分は、メッチャあります。
ある部分については、全面的に奥さんに依存していたりもします。
でも、私たちはそれぞれにダメな部分を持っていて、それを補い合って生きれば良いのです。
私がダメな部分を、得意分野にしている人もいるわけで。
そのダメな部分に焦点を当てていると、
どーしても、誰かのせいにしたくなる
のです。
つまり、幸福への道。
またホロスコープの使い方として、より生かされる道。
というのは、自分を許すこと、受け入れることなのです。
あるがまま。
未来は、なんか変わるかも。
成長するかも。
ということもあっていいのですが、今あるがままの自分を否定せぬこと。
じつは、こういうことは意識的にか、あるいは無意識的にか、できている人の方がホロスコープを生かせていたりするのです。
こういうケースでは、自分がダメなことがあるとしても、それを他者のせいにしない。
ただ、そこの原因は、曖昧になっているかもしれません。
まあ、ええか、で。
本当はすべて意識できていて、あまり良くない事例も受け入れて、自分のことも考えて、良い意味で〝仕方ない〟と思えるくらいが良いのです。
この仕方ない、という受け止め方は、ある意味では重要。
地震とか他の災害でも、非常に大きなものに見舞われたとき、
私たち日本人は、そういう土地で生きてきていますので、
「しょうがない」と受け止めます。
もちろん個人差はあるのですが、全体的なものとして。
これは、日本人のたぐいまれな〝強さ〟です。
こういう出来事が起きたときに、国や自治体とか、もちろん何らかの不備はあるとしても、全体として「しょうがない」と受け止められる傾向を日本人は持っています。
これは、まずい面もあって、国などにもっとちゃんとやれという要求は弱まります。
ただ、反面、受け止め、立ち直っていくというプロセスにはとても役立つのです。
災害はさておき。
仕事とか人間関係とか、いろいろな問題の中で、これを自分の身に起きる出来事として受容できるかどうか、というのは、その人は幸福になれるかどうかの大きな境目になります。
もちろん、絶対に不当なもの、理不尽なものを訴えるという選択肢はあります。
むしろ、そうしないと、後の人たちも不幸になる。
だから、たぶん私も、どこかの職場で自分が異常なハラスメントを受けるとか、不当な労働を強いられるとか、そういうことがあれば、行動を起こすかもしれません。
これはやってOKです。
でも、この現実が起きたこと自体の理由を、〝他のせい〟にしないほうがいいのです。
自分にも何かしらの学びがあるため、あるいはカルマの解消とか。
そういうのがあるから起きたのかな、くらいに受け止められたら、結構いいんじゃないかと。
あと、もう一つ。
・自分の利益ばかりを考える
ということも挙げています。
これは実際には微妙なところがあります。
というのも、この物質的な社会の中で、何事か達成する、というのが、今回の魂の目的になっているケースもある。
大起業家になるとか。
社会的なステータスを得るとか。
こういうのは、地球に生まれないと達成できません。
そうすることで、過去生の何かが中和されるとか、解消されるとか、そういうケースもあるでしょう。
この世に生まれるからには、長い転生のどこかでは〝ひとかどの人物〟になりたいとかいうのもあるでしょうし、たとえばですけど、いまだに男性優位の社会ですが、どこかで女性の才覚の素晴らしさとか、そういうことを表現して社会を変えたいとか、過去の歴史の中では、今の朝ドラみたいな話で、どこかで女性としての社会的な役割を拡張できないとこの先まずいから自分がその先鋒になる、みたいな人もいると思うのです。
これはその時代時代、その立場ごとにあるでしょう。
そういう役目を持って生まれる場合もあるので、一概にその人の〝こうなりたい〟という欲を否定はできません。
でも、ここでいうのは、相対的なものです。
ホロスコープをうまく使えている人とそうでない人。
その対照的な関係の中では、自分の利益のためだけに動くよりも、利他的な働きができている方が、より開運します。つまり、結果的にですが、現世的にも利益を得られているとか、そういうことがある。
つまり、魂の本質というのは、
人を幸せにできるかどうか
物質的には、他者の利益にも広げられるかどうか
というところにある向上と下降があるみたいなのです。
結果的に幸せになれている人というのは、
・今ある状況を受け入れられる
・自分だけよりも、むしろ人のために生きられる
のです。
人を幸せにすれば、自分も幸せになれる。
そういうことっぽいのです。
これは、そもそもよく言われることだなと、お考えになると思いますが、私がホロスコープ鑑定を通じて実感している実例も、まさにそれなのです。
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