目覚めの時2(自覚こそが目覚め) |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

世界全体が大きな峠を迎えている。

その中で世界も日本も、未来を良くしようとしたら、個人が目覚めることが大事。

小さなことだけれど、「個」の目覚めが進んでいくと、あるところで全体にも大きな変化が起きるはず。

 

目覚めるってなに?

というお話です。

 

時代が変化を迎えているから、変わらないといけない、という意識を持ちやすいのですが。

慌てて何かに変わろうとしても、だいたい結果はよろしくない。

 

だいたい、変わることそのものが目的じゃない。

〝変わろう〟と〝意識〟することは、実は逆。

意識のほうが先に変わるから、生き方も結果的に変わるわけで。

仕事や価値観や愛とか、そういうものの変化に結果的に繋がっていくわけです。

 

じゃ、意識がどうなればいいのか、というところがポイントです。

それは、何よりも「自覚」です。

 

自覚という言葉に、どういう印象を持つか。

ほら、良くいわれるじゃないですか。

「日本人としての自覚を持て」とか「我が社の社員である自覚を持て」とか。

「〇〇家の一員としての自覚を持て」とか。

 

なんか、あれですよね。

こう言われると、〝責任〟みたいなものを押しつけられる感じですよね?

ちょっと嫌な感じ?(笑)

 

でも、本来は

「自分の置かれている状態、立場や自分自身の能力、価値などを知ること」ですし、仏教的な観点では、「自ら迷いを断って悟りを開くこと」

ですから。

悟りって言葉は、「覚り」とも表記します。

 

社員の自覚とか社会人としての自覚っていうのは、置かれている環境や組織にウェイトがある言い方なんですよね。

で、そこ(責任)のイメージが強くなっちゃってるだけ。

 

本当は、自覚って、その文字のまま

自らを覚る

ことだと思うのです。

 

じゃ、覚るってどういうことかというと、

「物事の真の意味を知る・理解する」とか、「隠されているものや自らの命運などを知る・気づく」

ことです。

 

だから、自覚っていうのは、

・自分自身を知ること

・自分自身の隠されているものに気づくこと

でもあるわけです。

 

自覚という言葉のニュアンスの中には、

この世界の中での自分

というような意味合いがすでにあります。

 

私たちは自分だけで成立していない。

他人や環境があってこそ、自分が存在しているわけで。

〝誰か〟のいない世界で、自覚もへったくれもないわけです。

誰かがいてくれるからこそ、自分を知ることができる。

 

誰もいないのなら、自分しかないので、自覚すらできない。

自分が自分であることを知る・感じることは、実は根源的な欲求であるはずなのです。これは人間だけではなく、神仏の世界ですら言えることのはず……

 

この「自覚」を進めることこそが、私たちの真の目覚めです。

それは、イコール、「この世界の中での自分を知ること・感じること・覚ること」なのです。

 

よく言われる「自分らしい生き方」「自分が生き生きとして生きられる人生」といった、このようなキラキラした言葉の背景に潜在している本質がなんなのか、次回。

 

 

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