納得することは喜び |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

人に教えることの難しさというのを、この頃痛感しています。

 

ふと思い出したのは高校時代のこと。

 

あの、私は高校時代、かならず学年でトップ5に入るくらいの成績だったのですが、これは決して自慢ではありません。

私は中学時代、中の下か、もしかするとその下くらいの成績で、高校もかなりらく~に行けるところを選択しました。

 

その結果、中学でその程度だった私が、いきなり担任から「あなた、入学試験が6位だったわよ」と告げられ、「はあ、クラスで6位でしたか」というと、

「そうではない、学年で6位」だと……

 

この時私が思ったのは、自分が6位になるなんて、なんて学校だ!

 

という感想でした。(笑)

いや、これはもう本人の偽らざる感想で……

 

ま、そこからちょっとだけ頑張ったんですよね。

 

せっかく上の方にいるんだから、そのレベルは維持してみようかと。

一夜漬けですけど。(笑)

 

もともと本を大量に読む人間だったので、国語力だけはよかった。

小説もその頃から書いていたので、漢字も難しいものがすらすら。

 

試験の結果って、問題の文章をどう理解するかということも関係しますし、授業中、その場で先生が言っていることが理解できるということにも一役買っていたように思います。

 

結果、卒業まで試験前に一夜漬け的に頑張る程度で、だいたいトップ3にはいたと思います。

 

そういう状態だったからなのかどうか。

 

当時、私の高校は3/4が卒業後就職、1/4が大学進学というような体だったと思います。

2年以降、それでクラス分けが行われていて、私は親の要望で進学組に入っていました。

 

こういう状況の中、2年になってから、私はなぜか担任の教諭から「他の生徒に教えろ」と言われました。

命令ではなかったと思います。

提案? 

 

この担任の教諭は女性で、なんと私は3年間ずっと、この女性が担任でした。

 

今にして思えば、この女教師はなかなかに言葉巧みなやり手で、うまい具合にのせられていたのではないかと思いますが。

要するに進学組の他の生徒で、希望する生徒に放課後、ちょっと教えてやれと。

 

「寺子屋教室」と勝手に名前がつけられました。

(たぶん海千山千の担任がつけてアピールしたと思われる)

 

この時、人生で初めて人にものを教える、という経験をしました。

 

参加していたのは、5~6人???

よく覚えていませんが、10人未満。

 

学校でやった授業では、よくわからない、もうちょっと理解したい、という学生が集まっていますので、突っ込んだ質問とかも来ます。

とくに数学とか、ある方程式に「1」とか「2」とか「3」とか、代数?を当てはめて幾度か計算すると、この経験則から「x」が確定するというようなのがあったと思うのですが。

「ハイ! なんでそれ、最初にいくつか数字を当てはめるんですか」

という質問があり。

 

思いがけない質問。

 

言われてみれば、自分も先生に教えられるままに、それをやっていただけ。

その理由は説明されていない。

 

こういうことってあるんですよね。

 

こうやればいい。

これで解ける。

 

そして結果は出る。

数学は計算式ですから、きわめて明快な結論です。曖昧さがない。

 

その質問に自分なりに考えて、はたとひらめいたのは。

 

「試してみるということじゃないかな」

「このままでは、xが何かわからない。そのためには、いくつかのパターンをやってみて、検証してみる」

「試しにいくつかやったら、xが特定できるというのが、この方程式じゃないか」

 

ということを説明したら、すごく納得してもらえましたし、何よりも自分が納得していました。

 

教えるということは、何よりも自分の理解が進まないとできない。

 

この質問の段階で、「そんなことどうでもいいじゃん。1とか2とか当てはめることになってるんだから、それをやりゃあいいんだよ!」では。

 

まったく面白くない。

 

 

占星術の学びも同じだよなーと感じます。

 

月日は流れ、不思議なことに私は、今でも大学と占星術講座で教える側になっています。

私の月のサビアンシンボルは「教師」だったりするので、そのへんはちゃんと因果関係がありますが。

 

今思うのは、「納得」なんですよね。

 

いかに学んでいる人たちに、納得を提供できるか。

 

先生っていう立場になったとき、学ぶ人たちに提供できる最大の喜びって、それだと思うのですよね。

 

脳内で情報が結びついて、うまく解けるとき。

快感物質が分泌されるとか。

 

推理小説が解き明されるときの快感みたいなものですが。

でも、学問て、本質的にはすべてそう。

同じ。

 

 

占星術も(認めない方も大勢いらっしゃいますが)、私にとっては学問。

その驚きや納得。

それをいかに伝えていくか。

 

ある程度身に付けた方にとっては、ホロスコープって驚きと納得の連続でしかないんですが。

 

占星術講座でも、要するに「納得」が得られなければ、生徒さんは納得しないわけで。(笑)

当たり前です。

 

それはつまり、「喜び」と同義なんですよね。

 

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