友人に関して |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ほっ……と一息。

 

12月のハードでタイトなスケジュールを乗り切るための、最低限の準備がようやく整いましたよ。(^O^)v

ここ数日はそれに専念しておりましたので、ブログの書き溜めも消滅。

新しく書くこともできませんでした。

 

でも、これで安心して明日から東京へ行くことができまず。

 

今回の東京行きはもちろん鑑定会がメインですが、楽しみにしていることがいくつかあります。

数年ぶりに、お会いできる方もいますし。

東京では、占星術講座の合同オフ会も予定していて、1期から7期までの方が参加されます。とくに6期と7期の方には、まだほとんどお目にかかったことがなく、講座の中だけのやりとりで、その印象がご本人とどれくらい違うか……とかね。

 

 

ところで、今日は大学の日。

 

いろいろと重なるもので、時期的に大学も後期試験を用意しなければなりませんでした。

予断ですが、今年は、ちょっとハードルを上げ気味…かな。

生徒さんは、「ええ~~」っていいそうですが。

 

試験て、当然ですけど、毎年内容が変わります。

講義の主旨とテキストは同じですので、そこからの逸脱はないのですが。

頭の悩ませどころなのですが、今年度の後期の受講生は、7割程度はまともに講義を受けているので、まったくやる気がない生徒さんとの、ある意味よい選別になるかと思っています。

 

大学は、自発的な意志で学習する場ですからね!

 

と、いうようなことを私が言うと、「おまえの大学の時はどうだったんだ」という内なる声に指摘されるのですが。(笑)

 

実際、いい生徒ではありませんでした。

 

私は高校時代からものを書いて生きていくという目標を見いだし、大学の4年間は執筆に費やされました。

大学の勉強は、あくまでもおまけ。

 

しかし、基本的には他人に迷惑はかけず学業自体は修めました。

要するに単位は取った(当たり前だけど)。

 

実を言うと、私は大学時代の友人がいません。

たったの一人も。

恐ろしいことに、高校時代の友人も、たった一人の親友を除きいません。

中学など完全消滅し、むろん小学校も。

(小学校時代のつながりは、今現在生活している環境で、間接的なつながりがありますが、いずれ消える運命にあります)

 

つまり、私の全人生の中で、過去、友人と言える人間は一人しかないのです。

 

え? これってどうなん? というレベルです。

もちろんそういう方も大勢いらっしゃると思います。私と同じだよという人も。

 

ただ、ここが、私の人生の中で、やや大きめの後悔なのです。

 

うん? 後悔?

まあ、あんまり後悔もしてないのですが。(笑)

ナンヤネン

 

でも、もし学生時代にもう少し、なんかこう、友好関係を広げられていたら、今もう少し「友」がいた人生もあったのだろうなあと、思わないでもないという感じです。

 

普通、連絡を取る友人が何人かいるものですよね。

日常取らないまでも、スマホのデータに、彼らの電話番号とかアドレスくらいは入っているとか。

 

ところが、唯一の親友以外、そういうデータもゼロ。

 

なんでこうなったのだろうと思うのですが、ホロスコープ上にはこのことをあまり論理的に説明するものがありません。

 

たとえば友人が乏しくなる(数が少ない)運勢というのはあります。

その傾向は私にもあります。しかし、度が過ぎている。

 

私は格別、友人関係運は悪くないのです(ホロスコープ上)。

確かに数が多いタイプではないけれど、もう少しあっても良いのではないかというレベル。

 

にもかかわらず、私は小学校時にはいじめられている時期が長かったですし、中学もスムースではありませんでした。

高校では、こちらにその気もないのに、やたらとライバル視する人間や、私のことを気に入らないなと感じているグループが、しばしばちょっとっかいを出してきました。

 

もちろん、私は別に周囲に対して悪意などは抱いてはいませんでした。

なんでこうなるんだろう、と小学校の頃は感じていましたし(やられる側でしたし)。

高校の頃は、意にも介していませんでした。むしろ、後で、ライバル視や私のことを気に入らないグループのちょっかいを認識したくらいです。

(ああ、そういう意図だったんだと)

 

そういう意味では、私の認識する世界では、別に友人関係が悪いわけでも何でもなく、むしろ非常に薄い関係の中で、「私は私」で過ごしてきてしまいました。

 

しかし、後になって断片的に知ることをつなぎ合わせると、

 

どうも、私は

周囲を見下している

ように見られていた側面もあったようです。

 

これは今にしてみると、反省すべき点も多々あります。

自分の人生の目標がはっきりとできてしまい、そこへ傾注していたので、そのほかのことが「どうでもいこと」になってしまっていたのではないかと思うのです。

それが、結果的に高校時代、大学時代の友人関係の欠乏につながったように思います。

 

そういう私の姿が、他者の目からは

スカしている

馬鹿にしているんじゃないか

みたいに思えたようなのです。

 

これは、唯一の親友からもそのように言及されたことがあり(高校卒業後どころか、25あたりの話?)、そのときになって私は、

「は?」

と思ったのです。

 

「おまえは傲慢だ。人を見下している」

といわれたことがあるのです。

 

そう感じていても、私と親友でいてくれた彼には感謝しかないのですが。

 

そのときに、他人の目から見たときに、自分の振るまいがどう映っていたかということを、真面目に考えた覚えがあります。

 

自分としては悪意はもちろんないですし、自分を高いところに置き、他者に侮蔑的な言動を示したことはありません。

まあ、重箱の隅をつつくように言われたら、ゼロにはできないかも知れませんが。

 

しかし、親友の言葉には、ショックを受けました。

 

人生上の目標が早くに定まったのでは良いけれど、それで失うものもあったな、ということです。

 

もう少し、ここを理解できていたら、友達がもっと多かったかも知れない。

 

それは私の人生の損失かもしれないな、と感じます。

 

 

とはいえ。

 

高校や大学の頃に、そんな達観に至っていて、人間関係のことまでコントロールできていたら、ある意味不気味ですし(笑)、若い頃だからこそ、ある方向性へのすごいエネルギー集中をできたわけで、善し悪しは一概に言えないでしょうね。

 

 

ただ。多元宇宙(パラレル・ワールド)というものがあると、私は思っているのですが。

そこで「ちょっと違った選択」ができる、もう一人の私がいるのなら、

 

うん。

もうちょっと友達のことを見て、たくさん友達を作ってみたら?

みたいなことは、アドバイスしたいと思います。

 

 

現在ですが。

占星術とその講座を通じて、多くの友人と言える人たちができているので、そこはもうとっくに埋め合わされていると感じています。

 

どこからでもやり直せるものですね。

 

さあ、講義だ!

 

 

 

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