ヤオヨロズ21 第6章の1 |  ZEPHYR

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ゼファー 
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 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

◇◆◇第6章 ◇◆◇


 椿の花弁は四枚になっていた。その朝――。
「スクナ、里の様子はどう?」
 やはり朝餉を持ってきたスクナに、クシナーダは戸口のところで見張っている兵士にも聞こえるように言った。
「どこもかしこも怪我人だらけ。里の人も、それに」ちらっとスクナは兵士を振り返った。「洪水に巻き込まれて助け出されたオロチの兵とかも……病気になる人も出てきてる」
「その人たちの食事はどうなっているの」
「オロチの? この里のを分けてる」
 クシナーダは、それでいい、というふうにうなずいた。
「でも、このままだとこの冬が越せなくなるって、みんな言っている。里で貯めていた食料だって、そんなに余裕があるわけじゃないから」
 おい、と兵士は口を挟みそうになった。が、クシナーダの声がそれをとどめさせた。
「分けておあげなさい。先のことはいいから怪我をしている人や病人にはたくさん食べてもらいなさい」
「え……」
「あの……」アナトが横から言った。「ことが終われば、キビから食料を届けさせます。皆様に不自由な思いは絶対にさせませんから」
 躊躇するスクナに、クシナーダはさらに驚かせるようなことを告げた。「スクナ、あなたも怪我人の治療に力を貸してやってほしいの。お願い」
 少女はクシナーダの顔を見たまま、固まっていた。
「できない?」
「できなくはないけれど……それでいいいの?」
 オロチ軍の兵士は、この里を蹂躙したのだ。民を殺め、犯し、ものを奪い、無辜(むこ)な赤子でさえその例外ではなかった。里人にとって絶対に許しがたい存在である。脅され、食料を供出しているだけでさえ、たえがたい苦痛であり憤懣の種に違いなかった。それをさらに傷や病を得た者を助けるなど、心情的には考慮の余地さえないものであるはずだった。
「そこのお方」クシナーダは立ち上がり、兵士に言った。「わたくしを里の者たちと会わせてください。あなた方を助けるように説得いたします」
「え……あ……」あまりにも常識離れした提案に兵士は仰天した。
「あなたの一存で決められないなら、カガチを呼んできてください」
 狼狽の挙句、彼は戸口から仲間に叫んだ。「おい!」と。

 朝餉の後、やってきたカガチと共にクシナーダは囚われの家屋から出た。戸口から外を見るくらいは許されていたが、外を歩くのは久々だった。
 その姿を見て、里人が引き寄せられるように集まってきた。「クシナーダ様だ」と声を掛け合い、次々に家を出てくる。
「よけいなことを喋るようなら里人を殺す」カガチはそばで唸るように告げた。
 しかし、クシナーダはふっと吐息のような笑いを発した。
「なにをそんなに怯えているのです」
「なに?」
 クシナーダは歩みを止め、カガチを仰ぎ見た。「あなたのしていることは滑稽ですよ、カガチ。あなたは花に向かって恫喝をしているのです」
 その言葉をカガチのそばでヨサミは聞いていた。
「花だと……」
「無害なただ野に咲くだけの花を脅して、何の意味があるのですか」クシナーダのその表情には怒りもなく、嘲りもなく、そして誇示もなかった。穏やかな中に、毅然としたものだけが立っていた。「あなたは力があります。わたくしたちをどのようにもできます。好きなだけ手折(たお)ればよいでしょう。お望みなら踏みにじるもよいでしょう。けれど、あなたは決して最終的な勝者にはなれません」
「…………」
「わたくしたちは花。いくら折られ切り取られ、踏みにじられても、季節がめぐれば花はまた咲きます。あなたにはそれを止めることはできません」
 クシナーダはそう言うと、また歩み始めた。里の中央にある柱に向かっていく。彼女の歩みにつれ、彼女を慕う者たちが自然と集まった。
 カガチはクシナーダの近くに佇み、腕組みをしていた。その背中を見、ヨサミはカガチが小さくなったように思えた。気のせいだとは分かっている。だが、このトリカミに来て以来、カガチは圧倒的な鬼神の〝力〟を弱められているようにしか思えない。
 この里に張られている結界のせいなのではないかと、ヨサミは考えていた。巫女としての力の大半を失いながら、それでもこの里が特殊な知恵と〝力〟によって聖域化されているのはわかる。そのためカガチの背負っている〝負の力〟が、否応なく制限されているのではないか。
「皆さん、聞いてください」クシナーダは集まった人たちに向かって語りかけた。「勘のいい方はもうお分かりだと思いますが、このトリカミの里が長きにわたり封印してきたものが解き放たれてしまいました」
 それを聞いたカガチも腕組みを解き、クシナーダを見た。やはりそうなのだと、ヨサミは胸の内だけでうなずいていた。あのとき里を覆っていた濃厚な闇の気配、あれこそがそれなのだ。
「世は滅びるかもしれません」
 しーんとした空気が民たちの間に満ちた。
「しかし、わずかな望みにわたくしは賭けたい。皆さん、力を貸してもらえぬでしょうか」
 静けさが同様に広がっていたが、やがて一人、二人……と前に進み出る者、あるいは立ち上がる者、強い眼で応える者が現れ、それは集まった里人たち全員の意志として結ばれていった。無言のうちに。
「ありがとう、皆さん」クシナーダは言った。「わたくしたちにできることをしなければなりません。確執を越え、憎みを脇に置き、今この里にいる傷ついた者、病んだ者のために力を尽くしてあげてください。そう、オロチの人たちもです」
 里人たちは顔を見合わせ、やはり戸惑いは隠せなかった。
「考えるのではなく動いてください。彼らに憎しみをぶつけたい気持ちは本当によくわかります。わたくしも心の底でカガチに復讐を果たしたいと、そう思う気持ちがあります」
 クシナーダは斜め後ろのカガチを振り返りもしなかったが、里人の視線は当然集まった。
「でも、わたくしたちは知っています。本当の強さとは何か――」
 里人は息を詰めるようにして、彼女の言葉を待った。
「本当の強さとは、人を許せるということ」
 彼女の言葉のヒビキが、里の隅々にまで響き渡るようだった。
「わたくしたちワの民は、長きにわたりこの島国に多くの民を受け入れてきました。確執も争いもありました。けれど、わたくしたちはやがては許しあい、ここで一つになって生きてきた。けれどこの百年、あまりにも大きな流れがいくつもぶつかり合い、このワの国の中で荒れ狂い、その大きな山がここにきてしまった。わたくしたちはこの山を越えることはできないのでしょうか?」
 ヨサミは、クシナーダの言葉をそのときまでただ聞いていた。が、この時に至り、口を開いていた。勝手に声が出てしまっていた。
「越えられないよ」
 その呟きは、静けさの中で予想外の強さで人々の耳に届いた。
「許せなければ越えられないのなら、越えられるはずがない」
 カガチがヨサミを見ていた。そして彼は、クシナーダに向かって冷笑的に言った。「――だそうだが?」
 クシナーダはヨサミのほうへ向き直った。「アナト様よりお伺い致しました。カナンに国を滅ぼされ、ご家族も殺されたと」
「ああ、そうだよ」ヨサミは自分で自分が抑えられなくなっていた。「あんな奴ら、どうやって許せっていうのよ。許せるはずないじゃない! それはこの里の人たちだって同じじゃない!」
 金切声のようになった。が、ヨサミはかつてアナトにぶつけたように、クシナーダにその言葉を激しく投げつけることができなっていた。まともに眼を合わせることができないのだ。
「わたしにはあいつら――カナンのやつらを許すことなどできない。あんたの言っていることはご立派過ぎるよ!」
「立派だとか立派でないとか、そんなことはどうでも良いのです」
「どうでもって――」カッとなりながら、ヨサミは反論すべき言葉を失った。
「人はいついかなる時でも、何を選び何をするか、問われているというだけのことなのです。ヨサミ様、あなたがあえて復讐をという道を選び取るのなら、それはわたくしたちにはいかようにもしがたいこと。わたくしはそれを否定しようとは思いませぬ。それに――」
 クシナーダは何かを見定めようとするかのようにヨサミを見つめていた。ただ静かに。
「ヨサミ様、あなたのお役目もまた貴いもの。誰にでもできるわけではございませぬ」
 ヨサミは何かを投げ返したかった。だが、その言葉は見つからなかった。
 クシナーダはまた里人たちを振り返った。
「わたくしは皆さんに許すことを強要しようとしているのではありません。この今の危機の中で、何を選ぶのかということをお尋ねしているのです。そしてその上でもしお力を貸していただけるなら、今のわたくしたちにできることをしてほしい。ただそれだけのことなのです」
 里人はやはり静まり返っていた。その中から声が湧いた。
「どうして?」スクナだった。「どうしてあたしたちがオロチを助けることが、山を越えることになるの?」
 それは一同の疑問を代弁するようなものであったかもしれない。
「クシナーダ様がやってほしいというのなら」スクナは自分の周囲にいる里人を見まわして続けた。「――する。できるよね、みんな」
 少女の言葉に、大人たちも応えた。うなずき、そしてクシナーダにまた視線を集めた。
「だから、そのわけが知りたい」と、スクナが言った。
「それはね、スクナ、それに皆さん……」クシナーダはにっこりとした。「すれば分かりますよ」

 結局、里人たちはクシナーダの言に従った。
 それはそれだけクシナーダのことが信じられているということでもあった。が、その裏側にはヨサミという存在がむしろ里人を結束させてしまったという効果もあった。彼女が人の想いを背負い、代弁してしまったために、むしろ里人は彼女の立場から距離を置くことができたとさえ言えた。皮肉な結末というよりも、不思議な成り行きというべきだったのかもしれない。
 あの場にヨサミがいなければ、意見は割れた可能性すらあったのだから。
 里人は憎悪や敵愾心を抑え、傷ついたオロチ兵たちを癒し、食事も惜しみなく提供した。洪水で汚れていた川沿いの温泉場は修復と清掃が行われ、兵士たちの身体を温めた。
 それはカガチにとっても、兵たちの気力体力の回復という意味では好都合な出来事であったはずだった。だが、すぐに目に見えた形で兵たちにはある変化が起きた。
「すまない……」と号泣する者も出た。自分たちが踏みにじったトリカミから与えられる行為が、彼らに人間らしい感情を呼び起こしたのだ。
 そして、それはじわじわとトリカミの里人にとっても、残虐な行為を働いた彼らでさえ、やはり同じ人であったのだという認識をあらたにさせた。

 そうして椿の花弁は、一日ごとになくなって行った。
 クシナーダの誕生日から五日目の朝、スクナは巫女たちが囚われる家屋の中の椿が、すべてなくなっているのを確認した。
 今夜だ――。
 配膳を終えたスクナは家を出るとき、クシナーダと眼でうなずき合った。




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