ヤオヨロズ17 第4章の5 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

◇◆◇第4章 闇満ちる時◇◆◇




「ナオヒ様!」
 入ってきた老巫女を見て、アナトが大きな声を上げた。いっせいに振り返った巫女たちを順に見返し、最後にアナトのもとに視線を戻したナオヒは言った。
「久しぶりじゃな、アナトよ」
「は、はい――」アナトは我に返ったように反応し、老巫女の前に膝を折った。
 他の巫女たちも同様に動こうとするが、ナオヒはそれを制した。「そのような堅苦しいこと、今はよい。それよりも……じゃ」
 横たえられた二人の巫女は、ちょうど濡れた衣を着替えさせられたところだった。まだ意識は失ったままである。
 ナオヒは二人の間にしゃがみ、それぞれ順番に自らの手を心臓のあたりにかざした。
「ふむ……クシナーダは大事ないじゃろう。一度に霊力を使いすぎたのじゃ。この娘(こ)はもともとわりあい丈夫じゃからな。いずれ意識を取り戻すじゃろう」
 ナオヒの言葉通り、クシナーダの頬は少し血色を取り戻しつつあった。
「問題はアカルじゃ」
 アカルはまるで死人のような顔色のままだった。は、は、という短く浅い呼吸が、まるで死期が迫ったかのようにか細い。
「皆で今、〝気〟を注いでおりましたが」と、アナトが。
「それだけでは足らぬ。アカルはな、とてつもなく敏感な霊媒体質を持っておる。そのため、あのものどもの穢れを受け取ってしまったのじゃ。それを吐き出させねば」
「どのようにすれば?」
「そなたらは〝気〟を入れてやっておくれ。わしがやってみよう」
 ナオヒは仰向けに横たわるアカルの身体を転がすように横向けた。老体でも可能なほど、細くて軽い身体だった。巫女たちは輪になり、手をかざした。彼女らの掌から生命の力が、見えざる波となって送られる。その中でナオヒは祝詞(のりと)のようなものを口ずさみながら、しばらくアカルの背を撫で続けていた。そして、あるときポンと背を掌で叩いた。
 けほ、とアカルは喉につかえていた何かを吐き出すように咳き込んだ。すると、にわかに気道が開いたように大きく息を吸い、そして吐いた。
 ああ、と巫女たちは希望に満ちた声を上げた。
 アカルは眼を開いた。が、うっと口元を押さえ、背を波立たせるようにした。嘔吐に耐えているのだ。
「器を……」ナツソがその家にあった大きな鉢を持ってきた。
「我慢するでない。すべて出してしまうのじゃ」
 一瞬、ナオヒの声にアカルは振り返り、誰かということを認識したようだったが、激しい嘔吐感に襲われ、鉢の中に胃の内容物を吐き出した。肉体が受け取ってしまった穢れを猛然と拒絶し始めたのだ。ナオヒはずっとアカルの背をさすっていた。吐くものがなくなっても、えずきはなかなか止まらず、アカルは苦しみ続けた。
 ようやく収まってきたときには、もう精も根も尽き果てたような状態で、またぐったりとなってしまった。
「ナオヒ様……おひさしゅうございます……このような有様で、申し訳なく……」
 意識を失いつつも、そんな言葉を口にした。
「よいよい。今はゆっくり眠るのじゃ」ナオヒはアカルの手を握り、笑顔で眠りの世界に送り出した。
 アカルには幾枚もの布がかけられ、家の中の囲炉裏でも火が焚かれ続けた。やがて彼女の顔にも血の気が戻ってきた。体温も上がってきたようだった。
「よかった……。大丈夫ですね、もう」アナトが心底の安堵を込めて言った。
「うむ……」
「ナオヒ様がこちらにおわしましたとは……ありがとうございます」
 あらためてアナトは、ナオヒの前で身を低くした。他の巫女たちもそれに倣った。
「勾玉のヒビキに引かれたかの……。それはそなたらも同じであろう」
 巫女たちは顔を見合わせた。
「お初にお目にかかる者もおるな」
 この中でヤマトのイスズ、そしてキビの中ではイズミとシキは、ナオヒとは面識がなかった。
「わたくしにもご紹介ください」
 声がして、一同ははっとなった。
 クシナーダがそこに身を起こしていた。まだ少し顔色の冴えないところはあったが、はっきりとした眼差しをしていた。
「クシナーダ様……」
 巫女たち――とりわけキビの四人の巫女たち――は固まってしまった。時間までもが凝固してしまったような後、彼女らはこぞってクシナーダの前にひれ伏した。
「も、申し訳ありませんッ!」叫ぶように言ったとき、アナトの双眸から涙が溢れ出し、床を濡らした。
「申し訳ありません」
 巫女たちは続いて異口同音に言った。
「本当に……本当に申し訳なく思っております。何とお詫びしていいか……言葉もございません」
「アナト様……。わかっておりますよ。あなたがたも家族を囚われ、辛いお立場」
「しかし、トリカミの里をこのように血で汚し、あまつさえ、ヨモツヒサメを呼び出す結果となってしまいました。何もかも、わたしたちが至らず、カガチに組し続けたため……」
「カガチには逆らえぬでしょう。あなた方も自らの国を守っていたのですから」
 シキやナツソは顔を伏せたまま、声を上げて泣き始めた。それは他の巫女たちにも伝播した。クシナーダは彼女らのほうへ寄り、そして一人一人を抱くように、そっと背に手を置いた。
「もうおやめください。わかっておりますから」
 イスズもクシナーダの前に膝をつき、頭を下げた。
「ヤマトのイスズでございます。わたくしからもお詫び申し上げます」
「イスズ様……あなた様のこと、ずっと感じておりましたし、お噂に聞いておりました。ヤマト・ミモロ山におわす予知の巫女様と」
「クシナーダ様にはとうてい及びませぬ」
「皆様、お顔を上げください。皆様の眼を見てお話しとうございます」
 そう言われ、巫女たちは顔を上げた。キビの巫女たちは頬や鼻を赤くし、いまだに泣き声を押さえられずにいた。クシナーダを前にして、自分たちが胸に溜めていた罪悪感が心情の吐露とともに決壊したようになっていた。ちょうど悪さをした子が、母親の前で打ち明けるときのように。
 この中でクシナーダよりも年若い巫女は、イズミしかいなかった。にもかかわらず、彼女ら全員にとっての母性として、クシナーダはそこに存在していた。それは理屈ではなかった。
「皆様のお辛さは、わたくしは誰よりもよくわかっております。わたくし自身、とても罪深き者……」クシナーダは静かに語ったが、その表情には濃い憂愁の色が滲んできた。「実の姉であるアワジをはじめ、このトリカミの里にいた年上の巫女たちは、ずっとカガチの犠牲になってきました。それはすべて、この時が至るのを待つため、そしてわたくしを生かすためでした」
 衝撃を受け、巫女たちは言葉を失い、クシナーダの告白を聞いていた。
「守ろうとした父母も殺され、最初に姉が連れ去られるとき、姉はわたくしとアシナヅチ様に申しました。何があっても最後までわたくしを生かせ、と。それがすべてを救うことになると……」塑像のように語るクシナーダ。しかし、そのつぶらな瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちた。「姉もまた予知に長けた巫女でした。アシナヅチ様も……わたくしも……ある未来を視ていました。それはある光がここへ到着し、闇を払う未来でした。その光を待つためには、わたくしは生きなければなりませんでした。ひとり……生き残っていくこと……愛する者の死を見守りながら、自分だけが生き続けること……それは何にも増して辛うございました」

 その言葉を戸口のすぐ外で聞いている者がいた。ヨサミであった。
 彼女は家の中で泣き声がしているのを聞き、誰かが亡くなったのかと危ぶみ、戸口のところまでやってきたのだ。だが――。
 ――同じだった。
 ヨサミは痛烈な衝撃と悲しみに胸を貫かれていた。泣き声を上げるのを堪えるため、両手で思い切り口を封じなければならなかった。
 ――クシナーダ様は自分と同じだった。
 たった今まで、ヨサミはそのようなことは想像にすらしていなかった。父母を殺され、愛する国を滅ぼされ、ただ一人生き残ってしまった苦しさ、辛さ、悲しさ、そして孤独。
 それは誰にもわからぬものと思っていた。
 だが――
 ……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……。
 迫ってくる夕闇の中、ヨサミはその場にうずくまり、心の中で繰り返していた。

 クシナーダは涙をぬぐった。が、むしろ彼女の告白を受け、他の巫女たちのほうが泣いていた。年長で冷静なイスズでさえ、涙を禁じ得なかった。
「え……と。あらためて自己紹介を致しませんか」
 クシナーダは気分を変えようとするように、ナオヒのほうを見た。
「そうじゃな。わしは親戚筋のアナト、ナツソ、アカルは知っておるが」
「親戚筋なのですか?」
「……もともとキビのアゾというのは、大巫女様のいらっしゃるアソから取られた地名です」ようやく泣き止みつつ、アナトが説明した。
「アカルのおるタジマのあたりにも、アソ海という砂州で仕切られた海があるのじゃが、それも同じじゃ」と、ナオヒが補足した。
「まあ、海の名前にも?」
「クシナーダなど知らんじゃろうが、昔アソの御山の中にはそれはそれは大きな湖があっての、同じように呼ばれておったのじゃ」
「ナオヒ様はご覧になったことが?」
「あるものか。何千年も昔の話じゃ」
 巫女たちは二人のやり取りにふっと笑った。
 が、その直後、クシナーダが別なものに気を取られた。
「スサノヲ……?」
 彼女の眼は大きく見開かれ、はるかかなたを見るように視線を送った。
 その瞬間、地が揺れた。


 空を満たす闇は、霊視的なものというには、あまりにもリアルだった。もちろん山間に忍び寄る夕闇などでもない。
 そもそもスサノヲには、巫女が持つような霊視能力はなかった。が、サルタヒコと会話するときのように、ある種の波長にはセンサーが働くことがあった。サルタヒコとはまったく異なるが、その〝存在〟もなぜか彼が認識できるチャンネルの一つだったようだ。
 闇は、蛾か蝙蝠かが無数に羽ばたくようなイメージだった。それが集まりながら舞い降りてきた。スサノヲの目の前に――。
 それは一個の人のような形を維持しつつ、茫洋と揺らめく影となった。
〝影〟は嘲笑(わら)っていた。そのように見えたというよりも、それが伝わってきた。
 ――オマエカ。
 言葉にすれば、そのような思念である。〝影〟はスサノヲに関心を示し、同時に嘲笑っていたのだ。
「ヨモツヒサメ……」スサノヲは手にした剣を振り向けた。
 すると嘲笑的なものが、さらに大きくなって押し寄せてきた。
 ――ソノヨウナモノ、ワレラニハ何ノチカラモ持タヌ。
「そうかな……? やってみなくちゃ、わからんだろう」
 言下に、大気がびりびりと震えるような波動が生じ、それはスサノヲに集まり始めた。凝縮されるエネルギーがみるみる増大して行き、収まり切れないものが身体のまわりで爆ぜた。
 爆発するようにスサノヲは〝影〟を斬った。
 その〝力〟は、カイらカナン兵たちを吹っ飛ばしたときの比ではなかった。放出されたエネルギーは周囲の木々を薙ぎ払い、太刀筋に沿って抉り取ったような痕跡を残しながら大地に刻み付けられた。
〝影〟は跡形もなくなり、粉々に消え去った。
 気配も消えていた。
 スサノヲは周囲を見まわし、剣を鞘に収めた。そして、歩き出した。渓流に沿った道を、イタケルたちの後を急ぎ追うために。

 ビチャ

 音がした。それは普通の川の流れ音ではなかった。流れの中に何者かが足を踏み入れるような、そんな異音だった。

 ビチャ
 ビチャ

 スサノヲの歩みに同調するように、その音は追ってきた。振り返ると、川の流れが異常だった。
 岩も何もない川の流れの真ん中に、何かがいた。二本の脚がそこへ突っ込まれているように、ある二つの場所だけ、流れが迂回しているところがあった。
 ――キヲツケロ!
 それは以前にも聞いた、サルタヒコの警告だった。
 またあの嫌な気配が生じた。無数の蛾が集まるように、真っ黒な羽ばたきが集まり、その川の流れの上に〝影〟となった。〝影〟から無数の触手のようなものが、バネに弾かれるような勢いで伸びた。その一本はスサノヲに向けたものだったが、彼は反射的に横へ飛び退いてそれを避けた。
 が――。
 四方八方へ延びた闇の触手は、渓流沿いに植生する樹木の幹に絡みついた。すると、 樹々はまるで生命を吸い取られたかのように、みるみる枯れた。
 闇の触手は間髪を入れず、スサノヲに襲い掛かってきた。彼は剣を抜き払い、襲来する触手を退けた。彼の放つ〝気〟は、闇の触手に対してまったく無効ではなかった。が、あまりにも数が多すぎた。神速を持つ彼の剣技とて、無限のように増え続ける触手に対応しきれるものではなかった。そして、どんどん森が枯れて行った。
 野獣の吠え声が響いた。
 それは岩戸への往路、遭遇したツキノワグマだった。胸元に鮮やかな月の紋章を持つその熊は、出現するや、猛然と〝影〟に向かって突き進んで行った。
 豊かな恵みを持つ山々を穢し、枯らす存在。
 それに対するはっきりとした敵意をむき出しにし、熊は咆哮し、向かって行った。だが、彼にも触手が突き刺さり、絡み付いた。
 熊は山々を震撼させるような苦しげな喚き声を上げ、飛びかかろうとしたまさにその空中でもがき苦しんでいた。そして――。
 みるみる色を失った。
 灰色のような、白っぽい存在へと変容し、身が――そして骨が――宙に霧散して消えた。
 ――ワレハ〝死ノチカラ〟
 ――ワレニ触レルナ。
 ――ワレニ触レレバ腐レル。
 ――触レレバ滅ビル。
 死そのものの宣告が迫ってくる。たった一体のヨモツヒサメ。
 それにスサノヲはなす術もなかった。
 触手の一つが、スサノヲの胸を貫いた。
「!」
 その瞬間、スサノヲは自らの命がとてつもない勢いで、吸い取られていくのを感じた。
 肉体がそこから、急速に乾燥して、ぼろぼろに崩れていく――。
 絶叫した。
 と、同時に地が揺れた。
 ――ここで俺は死ねない!
 スサノヲは渾身の〝力〟を集め、剣を振った。触手を断ち切り、その身体は川に落ちた。
 ずしん、という重い響きと共に大地が鳴動した。ものすごい地震が生じ、その振動がありとあらゆるものを囲繞(いにょう)した。巨大な自然のうねりにヨモツヒサメも動きを止め、様子を伺った。触手に枯らされた樹々は真っ先に倒れ、そして生きている立派な樹木さえも、みしみしと悲鳴を上げ、しなり続けた。
 そして、山の一部が決壊した。上流で川の流れに制約を加えていた巨岩が動き、転がり落ちた。と、同時に堰き止められていた水が、その決壊した場所を通過し、一挙に周囲を粉々に破壊しながら奔流となって駆け下った。
 スサノヲはもがき苦しみながら、身を起こした。
 その彼が見たのは、自らに襲い掛かる土石流だった。



※ヤオヨロズ豆知識

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丹後半島の天橋立に仕切られた内海。
阿蘇海。
このほとりにある元伊勢、籠神社は海部氏による祭祀。
(海部氏は天皇家に匹敵する歴史を誇る家系図を伝える)





先月、噴火活動を活性化させた阿蘇山。
8000~9000年前、阿蘇には巨大なカルデラ湖があったことが地質学的に確認されている。


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