火星の隠された場所 1 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

episode.1-1



『アルバイト求む』

 なんという無愛想な貼り紙だろうか、と紗与里(さより)は思った。
 時給も書いてなければ、業務内容も書いていない。
 しかもよくよく見れば、貼り紙は新聞広告のチラシの裏の白い面に、マジックで文字を書きなぐっているだけだ。

「せめて、応談とか書こうよ」と、思わずつぶやく。

 こんなものを見て、求人に応じる人間がいるのだろうか。
 怪しい。
 怪しすぎる。

 これがもし、まっとうなビルのショーウインドゥに貼られているとかいうのなら別かもしれない。しかし、見るからに怪しそうな外見の建物だった。

 両サイドには背の高いビルが建っている、その狭間に肩をすぼめるようにして佇んでいる、古ぼけた木造の二階建てだった。
 もう少し手入れして外観をきれいにすれば、もしかするとロッジ風の喫茶店とか、スナックとか、そんなお店に格上げできるかもしれない。

 しかし、現状はどう見ても、時代に取り残されて風化しつつある、ただの小屋だった。

「α占術研究所」という看板が、入り口の横に掲げられている。
 奥を覗きこもうとするが、カットされている硝子が木枠にはめ込まれていて、よく見えなかった。

 ノブを捻るまで、三回くらい、やめて引き返そうと思った。
 が、結局手を伸ばした最大の理由は、友人の樹子(じゅこ)の強力な推薦があったからだった。

 ガン! いきなりドアが開き、ちょうどその瞬間に前のめりになっていた紗与里の額を打ち付けた。

「いっ」そこでひと呼吸吸い込んだ。「いった――ッ!ショック!

 ドアの向こうから出てきた男は、額を抑えて悲鳴を上げている紗与里に冷ややかな眼差しを当て、「これは失礼」と言った。
 そして出てくると、ドアに貼っていた『アルバイト求む』の紙を剥がした。

「あ、え……」
 痛みがいっぺんに引っ込んだ。
「あの、アルバイト、決まったんですか」

「決まったよ」と、男は言った。「採用した」

「そ、そうなんですかあせる
 落胆と不安が襲ってきた。不安というのは、何よりも切実な生活の不安だった。

「さあ、入って」

「え?」

「エクセルくらい使えるよね」

「あ、ああ、はい、まあ。MOSの資格持ってます」

「上出来。じゃ、君の席はそこね。で、とりあえず、これをあいうえお順に入力して、顧客リストを作ってくれないかな」

 どさっと分厚いファイルが4冊くらい、机の上に置かれた。どのファイルも、中の用紙で膨張しているような代物だった。
 呆然とそれを見て、
「はいはてなマーク
 と、紗与里は男を振り返った。

「時給は××××円。一応、休みは決まってないけど、要望があれば言って。あ、1日あたりの労働時間もね」

「時給××××円? そんなにもらえるんですかッって言う前に、あたし、採用されてるってことですか」

「仕事したくて、ドアの前で何度も貼り紙見てたんじゃないの」

「面接とかないんですか。り、履歴書とか」
 慌ててショルダーバッグの中から、ほとんど徹夜で書き上げた履歴書を差し出す。求人情報誌に付録されているものだが、書き損じや、文字の汚さのあまり自己嫌悪になりながら、3回くらいコンビニに通ったのだ。
 店に置かれている無料の求人情報誌を持って帰る時も、3回目には窃盗をしているようなやましい気持ちになりつつ、ようやく書き上げたものなのだ。

「ああ、じゃ、ここへ置いといて。後で見るから」

 カ――ンビックリマーク と軽い金属的な擬音が頭の中で響くほど、男は無関心だった。

 そう言いながら彼は、自分の机の前に座った。そしてノートパソコンの画面を見ながら、キイボードを叩き始めた。
 机の上には2台のPCがあり、2つともノートパソコンだった。片方の画面を覗きこみ、何やら操作した後、またもう一台のノートパソコンのほうで、おそらく文字入力の作業を続けている。

 紗与里はたっぷり20秒ほど、その場で呆然としていた。

「あ、悪いけど、コーヒー入れてくれないかな。インスタントのやつ。ブラックで」

 その言葉で突き動かされた。
 コーヒーなどのお茶類がどこで用意できるかは、見たらわかった。
 ビルの谷間にある奥へ向かって細長い建物なのだ。一番奥右手が洗面所で、通路を挟んで反対側に給湯室らしきものがあった。
 給湯室にはコンロやシンクもあった。
 棚にはまともな珈琲豆もあったし、ドリップする容器もあった。

「あのー、インスタントですかぁ?」と、呼びかけた。
「インスタント」という必要最低限の返答が戻ってきた。

 ハーブティなども常備しているようだし、しゃれたカップも用意されていた。
 しかし、悩んだ挙句、紗与里はもっとも使用されていると思しき猫の絵柄の入ったマグカップにインスタントコーヒーを入れた。それがシンクの横の水切りの上に置かれていたからだ。

「ありがとう」
 マグカップを運んでいくと、男は作業しながら礼を言った。
 いろんな意味で、ほっとする。

「あ、あの、本当にあたし、採用されたんでしょうか」

「辞めたいのなら辞めてもいいけど、今すぐ辞めたらさすがに時給は払えないよ」

「あ、いえ。あの、よかったらさせてください。でも、あの……せめて……」
 あなたのお名前を、と言おうとしたとき、店の扉が荒々しく開いた。

 スーツ姿の男が二人、店に入ってきた。そして、メガネをかけた背の高い男が言った。
「那智(なち)九郎さんですか」

「はい。そうですが」

「警察です。少しお話をお伺いしたいのですが」

 男が警察手帳を提示したとき、紗与里は軽いめまいを覚えるとともに、とんでもないところへ来てしまったと思った。


※この物語はフィクションです。

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