否定しない |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

人を善か悪かに色分けしたくなるのは、普通に人情としてあります。

あるいは自分にとって価値があるとかないとか。

何事にもジャッジしたくなるのが人間です。

正義感が強い人は、その正義感ゆえに判断したくなります。

繊細な感覚を持つ人は、その鋭敏さゆえに身を守りたくて、判断したくなります。

しかし、胸に手を当ててみましょう。

本当に自分が、すべて真っ正直、何も隠さずに生きているかどうか。

全ての善なる性格を、トータルで備えている人間はいません。

たとえば親切で、明るく、公正で、裏表もなく、自分の素顔や中身を真っ正直にさらけ出し、人に不愉快な思いをさせることもなく、誰の迷惑にもならず、嘘一つつくことなく生きている。

そのような人間は稀ですし、誰でも世の中で、ある程度の距離や、ある程度のとりつくろいを行って生きています。

それを嘘やごまかしと見ることは簡単です。

しかし、よけいな問題を起こさないための処世術だとも言えますし、たとえば愛し合っている恋人や夫婦の間、あるいは親子のような親密な関係でも、誰もが無意識に知っているのは、

「なにもかもさらけ出すことが良いことではない」

ということ。

つまり良い関係を築く努力をするための思いやりだとも言えます。

素の自分を100%出してOKということは、どのような人間関係の中にもありませんし、社会とのおつきあいになると、よけいに難しくなるでしょう。

もし焼肉が食べたいという欲求を持つ人が、それを菜食主義者にぶつけたら、否定や非難の応酬にもなりかねません。

宗教の問題も同じ。

人生上の価値観も同じ。

そして人の持っている感性や性格の問題も同じ。

人はそれぞれに違っている。

違っているからこそ、面白いし、楽しい。

そして美しい。



自分が否定したくない存在や考え方、あり方。

あるいは自分自身を否定する誰かが出現した時に、

私たちはついその相手やその考えを否定したくなります。



その人もまた違っているだけのこと。

否定せず、少なくともこの宇宙や地球に存在しているものとして認める。

そうありたいし、先日、いろいろと考えている中で、

「あ、自分が否定しなきゃいいんだ」

と悟るようなことがありました。

人は否定すればするほど、否定するものを引き寄せてしまう。

鑑定でよくそんなことを人様に話しながら、ついうっかり自分のことになると忘れてしまうものです。

否定しない。

その価値と知恵を、時には思い出しましょう。




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