あるいは自分にとって価値があるとかないとか。
何事にもジャッジしたくなるのが人間です。
正義感が強い人は、その正義感ゆえに判断したくなります。
繊細な感覚を持つ人は、その鋭敏さゆえに身を守りたくて、判断したくなります。
しかし、胸に手を当ててみましょう。
本当に自分が、すべて真っ正直、何も隠さずに生きているかどうか。
全ての善なる性格を、トータルで備えている人間はいません。
たとえば親切で、明るく、公正で、裏表もなく、自分の素顔や中身を真っ正直にさらけ出し、人に不愉快な思いをさせることもなく、誰の迷惑にもならず、嘘一つつくことなく生きている。
そのような人間は稀ですし、誰でも世の中で、ある程度の距離や、ある程度のとりつくろいを行って生きています。
それを嘘やごまかしと見ることは簡単です。
しかし、よけいな問題を起こさないための処世術だとも言えますし、たとえば愛し合っている恋人や夫婦の間、あるいは親子のような親密な関係でも、誰もが無意識に知っているのは、
「なにもかもさらけ出すことが良いことではない」
ということ。
つまり良い関係を築く努力をするための思いやりだとも言えます。
素の自分を100%出してOKということは、どのような人間関係の中にもありませんし、社会とのおつきあいになると、よけいに難しくなるでしょう。
もし焼肉が食べたいという欲求を持つ人が、それを菜食主義者にぶつけたら、否定や非難の応酬にもなりかねません。
宗教の問題も同じ。
人生上の価値観も同じ。
そして人の持っている感性や性格の問題も同じ。
人はそれぞれに違っている。
違っているからこそ、面白いし、楽しい。
そして美しい。
自分が否定したくない存在や考え方、あり方。
あるいは自分自身を否定する誰かが出現した時に、
私たちはついその相手やその考えを否定したくなります。
その人もまた違っているだけのこと。
否定せず、少なくともこの宇宙や地球に存在しているものとして認める。
そうありたいし、先日、いろいろと考えている中で、
「あ、自分が否定しなきゃいいんだ」
と悟るようなことがありました。
人は否定すればするほど、否定するものを引き寄せてしまう。
鑑定でよくそんなことを人様に話しながら、ついうっかり自分のことになると忘れてしまうものです。
否定しない。
その価値と知恵を、時には思い出しましょう。
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