ロボットはもう物語ではない |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ザック・ジャパン。

惜しくも緒戦、黒星になってしまいましたね~。

でも、次に期待しましょう! きっと見せてくれると思います。


ところで。

先日、贅沢にも「ひとり映画」してきました。

ちょうど午後になると長いボイドタイムになることもあり、それまでに済ますべき仕事を済ませ、たま~には完全余暇的な行動をしようと……

何を見たのかというと、「キカイダ― REBOOT」です。

石ノ森章太郎原作の、往年の特撮ヒーローですね。

でも、自分はこのTVのキカイダ―も子供頃、見ていましたけど、サンデーだったか? 連載されていた原作の漫画のキカイダ―に夢中になっていたことがあります。

私の漫画原体験て、石ノ森章太郎で、もっとずっと小さいころに、「サイボーグ009」を読んだのが始まりでした。

009の物語も子供心に衝撃的でしたが、衝撃度から言ったら、中学生くらいの時に読んだ「キカイダ―」のほうが大きかったかもしれない。

良心回路というものを内蔵された、きわめて人間に近いロボットの物語。

TVには石ノ森章太郎のテーマ、エッセンスは薄いのですが、原作は不完全な良心回路と悪の回路の両方を内蔵させられ、限りなく人間に近づいて終わるというオチでした。

機械に過ぎないのに、人間のような「心」を持つに至る。

逆にそこから人間の姿が反射して見えてくるような……

子供心に、「すげー、石森章太郎」って思っていました(この頃は、石ノ森ではなかった)。

同じようなロボット、アンドロイドをテーマにしたお話はたくさんありますが、非常に印象深かったものに「アンドリュー」というものがあります。

陽電子回路の頭脳を持ち、ただの家庭の電化製品みたいだったアンドリューが、やがて心を持つに至り、人と愛し合い、愛するがゆえに、本来は不死なのに、人と同じように「死ぬ」ということを選ぶ……

ラストはもう泣けます。ぼろぼろに。

アンドロイドものとしては、すごく通じるものがあります。

以前、小説のお師匠さんに言われたことがあります。

「どんな小説でも良いものは、やっぱり『人間』が描けている」と。

それを機械に仮託して語っているわけですね、こういう作品は。


今回観た「キカイダ― REBOOT」は懐かしさもありましたが、石ノ森章太郎が描こうとした「人間」がエッセンスとして盛り込まれていて、「ああ、これはよくできているなあ」と感じました。

感情移入しているので、戦闘のシーンなど、カッコいいとかいう話ではなく、見ていて悲しく、息苦しくなりました。


皆さんはどうでしょうか?

今日、こんなことを書いているのは、なぜかというと、
いよいよ私たちの生活の中にも、本当にロボットが入ってくる時代になりました。

私は自分が乗っている車とか、昔乗っていたバイクとか、わりと感情移入するほうで、車などでもこっちが示す愛情に対して、何かしらのサインを送ってくれるような気がすることがあります。

ただの物質。
メカの塊。

なんですけどね。
クルマでさえそんなことを感じるのに、同じようにしゃべり、意志の疎通もできるようになったロボットなら、よけいに身近に感じるかもしれません。

キカイダ―の世界は、もう夢物語ではなくなりました。

きっとすぐそこに待機している世界なのです。





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