いい加減に観ておかないと、上映期間が終わってしまうかも…と危ぶんでいたので、先日、思い切って「永遠の0」を観に行きました。
だいぶ前から行こうと思いながら、どうしても時間が取れず、ようやくここへ来て、「あ、今日なら行ける」みたいな感じで、MOVIX倉敷へ。
MOVIXだと「夫婦50割」とかいうのがあって、夫婦のどちらかが50才を超えていると、二人とも割安になるんですが、もちろん私たちは双方がクリアしています(笑)。
この種の映画が、うちの奥さんは積極的には観たがらないところがあります。
なぜかというと、「ほとんど泣けることが確定」だからです。
もともと涙もろい人なので、「見ていると苦しい」らしいです。
「永遠の0」の原作者の百田尚樹さんは、自身の原作であるこの映画を観て号泣されたそうですが、実際、ラストに用意されている様々な人物の思いが集約されていくようなシーンでは、熱いものがこみあげてきました。
この種の戦時中のゼロ戦だとか、そんなものを扱った映画は、最近作られただけで非難を受けたりする側面もあります。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」のときでさえそうでした。
映画のメッセージ性を理解すれば、そのような批判は的外れだということがわかります。
私は今、戦時中の出来事を取り扱っているある小説を読んでいるのですが、「永遠の0」は現代人の視点から過去へさかのぼっていく構成になっているところが、非常に物語に入り込みやすく、主人公の若者の言葉、姿勢の変化は、多くの人の共感を得るものでしょう。
過去の出来事は、幾度でも語りなおす必要がある。
様々な視点で、様々な切り口で。
今、平和な時代に生まれ育ち、自分のやりたいことができる私たち。
一見、満たされているがゆえに、実は失われているものもあるのだと。
何が大事なのか。
何を守らねばならないのか。
何を自分が選ぶのか。
NOと言える勇気。
受け入れることの勇気。
そして何に意味を見出し、何を悟るのか。
小説も、映画も、すべての物語は、必要とされて生み出される。
私たちのために。
難しいことはさておき、深い感動を得た映画です。