ホ・オポノポノと占星術 4 |  ZEPHYR

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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ホ・オポノポノの最終記事です。

ホ・オポノポノのクリーニングを行えば、人は潜在意識にある問題となる情報をデリートできるので、いえば、どんどん軽くなっていく。
様々な記憶・情報を幾重にもまとって厚着したのが私たちだとすると、それを一枚一枚脱ぎ捨てて行き、最終的には「素」の自分、裸の自分になっていく。

こうなることで、結果的に良い状態に自然になっていくはずなのですが、ここで問題が起きることがあります。
それは、「ホ・オポノポノをすれば、自分に良いことが起きる」と「期待」することです。
このような期待を抱くと、クリーニングがうまく進まなくなります。

「何かの状態になることを望む自分」というのは、素の自分ではないからです。

「期待」は、本当の意味で良い状態を呼び込むことの障害となります。
金持ちになりたいとか、いい結婚がしたいとか、こういった「願望」は強く抱けば抱くほど、それが遠のく反作用を引き起こします。
それは結局、「金が欲しい」と願う自分は、金を今持っていない自分を認めることとイコールだからです。

何も期待しない。
余計なことは何も考えず、ただ、クリーニングをすることが重要です。もし、「これをやってるから良くなるだろう」と期待する気持ちを抱いたら、ホ・オポノポノではその「期待」も四つの言葉でクリーニングすることが推奨されています。

私は占星術の鑑定現場で、この「期待」の弊害がいかに大きいかということを、よく痛感しています。あるポイントに星が集中していたりすると、そこへの傾きが非常に大きくなり、こだわることがあるのです。
結果、それは意識過剰となり、その部分の才能や特徴がうまく機能しなくなる。
好きな人を前にしたとき、意識しすぎてスムースな言動ができなくなるのと似ています。

期待。
ホ・オポノポノをする動機というのは、多くの人の場合、なにか現状を変えたい、良くしたいと思ってのことなので、それは陥りやすいことなので、ここであらためて取り上げさせていただきました。

期待せず。
期待したらそれもクリーニングする。
これが非常に重要です。


ホ・オポノポノでは非常にお手軽なクリーニングも紹介しています。
それは、ただ水を飲むだけのクリーニングです。
以前にもブログで取り上げたことがありますが、ブルーソーラー・ウォーターというものを自分で作って飲むことができます。

ワインなどのボトルにもありますが、青いボトルを使って、これに水道水でもミネラル・ウォーターでもいいので入れて、太陽光のある時に光に当てます(曇りや雨の日でもいいそうです)。
15分~60分くらいでOKです。
これを毎日飲むことでクリーニングができるそうです。
(ブルーのボトルがない時は、透明なボトルにセロファンを張ったりしてもいいようです)
(ボトルの口は、金属キャップは不可。コルクか、なければラップで蓋をしてもOK)

このやり方で作った水は、不思議なことにおいしいのです。
私も作っていますが、水道水なのにブルー・ボトルで光に当てた水は、軟水のような柔らかさを感じさせます。

こういった細かいことは、ホ・オポノポノの関連書籍がありますので、皆さん、お読みになってください。
クリーニングのやり方や理念についても、原著を知っていただいたほうがいでしょう。
私が読んだものの一部をご紹介しておきます。

「豊かに成功するホ・オポノポノ」
「みんなが幸せになる ホ・オポノポノ」
 イハレアカラ・ヒューレン



最後になりますが、私なりにホ・オポノポノと占星術のかかわりについて私見を述べさせていただきます。
ホ・オポノポノはクリーニングによって、無垢な自分を取り戻していく作業です。
そして、これが人間関係や運勢など、様々な現実を変え得ることは、私は疑っていませんし、その実効性を自分で確認しています。

ホ・オポノポノではこの世で起きることすべてに責任を負うということから出発しています。自分には無縁に思えるようなことでも。
その責任を負うということについては、前回の記事でも触れましたが、実際にはもっと深いもので、この世のすべての責任を負うほどの意識があれば、クリーニングは非常に強く進むと思われます。

対して、占星術もこのホ・オポノポノとは、一見、真逆な考え方を生み出しやすい。
じつはこれが、占星術を取り扱う上でもっとも危険な部分です。

星座やハウス、あるいは天体。
これらの作り出す意味や角度、こうしたものは、時に「星がこうなっているから、このような現実を作り出す」という、運命論を生み出します。
つまり宇宙にある天体が、その人の命運を強制的に決めている、という考え方です。

これは人に、一種の縛りや制約を与えます。
呪いのようなものです。

この運命論的な考えは、人を小さな枠に押し込め、本来は宇宙と一体であるはずの人間の生命の可能性を、非常に矮小化してしまいます。
私も占星術を学び始めた当初、このような考えをよく抱くことがありました。
星が運命を決めるのだと。

しかし、一方で本質は違うということを、ずっと私は感じてきました。
星の動きは、たしかに人の運命の傾向を示すが、じつは人はどのようにもなり得る
可能性は無限大に広がっている。
人がより良き道に目覚め、宇宙と一体化したような人生を歩めば、星の意味するところはもっともっと喜びに満ちたものに変化する。

ハードアスペクトとか、一見、良くない働きをする土星以遠の星たちも(もちろん、土星以遠の星がよくないというのは誤解です)。

ホ・オポノポノは人を制約から解放し、素の状態へと導く。
占星術は、うかつな判断をしてしまうと、人にきわめて制約された縛りを与える。

これはまったく反対の機能を有しているように見えますし、占星術をまさにそのように運用している例も見受けられます。
運勢がこうだから、このようになると言い切ってしまい、押し付ける占いです。
でも、本当は違っている。

宇宙の図面と人は、対応し合っている。
人が変われば、きっと宇宙も変わる

これもまた量子理論的な考えですが、私はそのように信じていますし、そのように生きて行こうと思っています。
運命が先で、人が決定づけられるのではない。
命が先にあり、星々は交通整理のようなことをしているに過ぎない。


人はその枠を超えることもできる。
なぜなら空を飛べば、地上の区画や交通網の制約はなくなるから。

みな、飛べる。

そのための占星術として、私はこのアイテムと向き合っています。



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