プロとアマの境界線 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

最近、ミュージカルの練習を見ていて、思うことがあります。

それはプロフェッショナルとアマチュアの差とは何か、ということです。


これは以前にも触れたことがあると思うのですが、私が作家になりたいというような人に、よく話させてもらうことが、まさにそれなのです。

このところ大学の講義を受けている、ある留学生に小説のことで相談されることがあるのですが。

その彼にも同じことを話しました。

それは……

「プロは自分が書いた文章を読者が読んで、どう感じるかということをわかっている。
ここまで書き進めた小説の筋を読んで、読者がどんな感情を抱いているかとか、次はどうなると予想しているかとか、書きながらわかっている」

ということです。
小説に関しては、そういえると思います。

たしかにちょっと例外的ですが、何も考えずに書き上げた小説が認められることって、あると思います。

しかし、その作家がある程度の期間、きっちりとした業績を上げようと思うのなら、いつもいつもフロックのようなものを期待したのでは、どうにもならない。

小説が上達しにくい、読んだ人にいい評価をもらえない、書き上げた後しばらくして読み直してみたら自分でもつまらないと思う、というようなケースに遭遇しているのなら、ここのところを真剣に考えてみたらいいと思います。

プロは自分が書き手でありながら、同時に読み手の視点も持っているのです。

複眼があるということですね。

意識が分裂したみたいに、創作しながら、それを評価しているのです。


この域を完全にマスターして、もはや意識する必要もなくなって、無で書ける人も、次の段階では存在すると思います。

が、まあ、今日はその手前の話で。


市民創作のミュージカルの練習を見ながら、俳優さんも同じだなと感じています。

うまい人というのは、他人の目から見た自分が見えている。

つまりステージに立って演じたときの自分がどう見えているかというのがわかっていて、動作の一つ一つにそれが出たりする。

こういうのがもう本能的になのか、それとも訓練されてなのか、やってのけてしまう人というのは、笑いを取る場面でもちゃんと笑いが取れるし、泣かせる場面でも泣かせてくれる。

ちゃんとできるのとできないのとでは、それこそ同じセリフを言っても、同じ場面の所作をしても、雲泥の差が出てくる。

ミュージカルの参加者というのは、いえばプロの俳優さん(この場合はそれで食っているという意味)はいない。

でも、この地方都市できちっとした活動をしてこられた方が何人も参加してくださっている。

彼らは、やっぱりそういうことができていることが多いし、そのセンスに天賦の才を感じる人間もいます。

プロとアマの差。

俳優も小説家も同じ。クリエーターやアーティストは、みなそうなのだろうと思います。

売れているとか食えているとか、そんなことにかかわりなく、プロとアマの境界線は存在している。

プロはやはりわかっているし、見えている。

なにが?

自分が。



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