バラバラ時代を生きる私たち |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

最近、江戸初期のころをいろいろと調べていて、いたるところで感じるのは、この封建社会がまさに土星的な管理や制度の中で成り立っていたということです。

これは前々から感じていたことなのですが、中世の封建制度というのは、その性質からして土星的です(世界的に)。

封建社会は、土地を基盤にして、君主と家臣、領民などの関係が築かれているということは、よく言われることだと思うのですが、土星にはまさに「土」の性質を強く持ちます。
この延長で、今でも土木建築や農業林業など、土地に関連した仕事は土星に分類されています。

土星は世の中の規律、制度なども意味合いとして持っています。

また男性的な星です。
乾いていて、とても固い。

焼き上げた陶器の器のような社会制度が、まさに土星的な封建制度です。

もちろん現代ではこのような制度はほとんどの国で打ち壊されているのですが、それでも質としては強く残っている地域もありますし、男尊女卑的な発想は土星に由来すると見ていいでしょう。

この土星的な世界がどこで転換したのかということは、言うまでもなく産業革命以後と見ていいでしょう。
革命、つまり天王星的な効果が世の中に降りてきて以後です。

天王星は1781年にハーシェルによって惑星として発見されましたが、ちょうどこのころから起きたのが産業革命で、それ以後の現代に生きる私たちは、この天王星的な時代を生きているということにもなるのかもしれません。

一つの時代のサイクルにも、細かい波は当然あるので、この天王星的な時代の中にも土星的な時、火星的な時は、当然用意されているはずですが、ざっくり見たときにはまだ天王星の時代なのだろうと思います。

革命、社会改革が次々に起こり、科学技術が先鋭的に開発されていき、宇宙にまで飛び出した人類。
インターネットの普及、コンピュータによって管理される社会。
これらのワードの多くが天王星の管理するものです。

もちろんその後、海王星や冥王星が発見されるに従って、それらの星が持っていたスピリチュアリズムや原子力なども世の中には出現して行ったのですが、長い目で見たときにこれらが次々に交代して行ったというよりは、今はまだ天王星的な時代なのではないかという印象を持ちます。

この時代はまだ当分は続きますが、2010年ごろから今年あたりの間にピークのサイクルを迎えたのではないかという気がします。

土星的な時代の社会では、人々は決められた制度の中で、型にはまって生きていくことが、自然とさえ思っていました。
身分制度などもその一部ですし、女性が家庭に入って、家を守るのが当たり前という考えなどもそれです。

天王星的な現代では、私たちは個性を大事にするようになり、互いの領分を守り、距離を取って生きるようになりました。
個人の生き方は別にして、日本ではこれが核家族などになり、私たちはともすればバラバラになりがちです。
このバラバラ時代は、まさに天王星的なのですが、この時代はやがて統合される前兆かもしれませんし、この時代でないと実感しにくい体験もあります。

その中にはもちろん個人の自由体験もあるのですが、バラバラだからこそ一つになった時の喜びは大きいとも言えます。

人間はしょせん、たった一人では生きていけないのですから、誰かに支えてもらったり、逆に支えてあげたりする必要があります。
それに、生き物としては、やはり生殖活動も必要ですし、当たり前の話ですが、人の肌は恋しい。

幸せというのは、自分が与えられていて、身の回りに普通にある時には気づかないことも多い。
それから距離ができたときに、はじめてその価値がわかったり、大切さを痛感したりするものです。

天王星的な時代が「良い」わけでもないし、結論なのでもない。
ただ、この時代の中でこそ得られる大事な体験はあると思います。

何が幸せなのか、わからなくなったときには、一人になってみるのも良いでしょう。それがわかるまで、しばらく。

また今がばらばらであるなら、なぜこうなってしまったのか、考えてみるとよいでしょう。
意味もない時はないのですから。


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