私はずいぶん以前から、東野圭吾さんという作家は、故・松本清張先生のような大作家になると感じていました。
作品の内容がとか、そういう話ではありません。
清張先生の作品には、当時の「社会派」としての統一された色調が強かったのですが、東野さんの作品はもっともっとバリエーションが多い。
私が申し上げたいのは、たとえば横溝正史先生とか松本清張先生のように作家として大きな偉業を成し遂げ、その後、作品群が風化することなく、ずっと読み直し続けられたり、それを原作にした映画やドラマも長く作り続けられるような、そのような「歴史に残る作家」にきっとなってくれると思っていたのです。
近年のブームが起きる以前から、そう思っていました。
なにがそう感じさせたのかは、うまくは説明できないのですが、一本一本の作品を通じて、それだけの可能性や大きな力量が伝わってきたからとしか言いようがありません。
最近の「ガリレオ」ブームは、本来の原作とは異なることろも多々あり、湯川先生のキャラも違っていると感じるのですが、それでもTVシリーズや過去の映画は、それはそれとして楽しく観てきました。
当然、「真夏の方程式」も鑑賞に。
昨日、奥さんとともに出かけてきました。
しっかりとしたテーマ、映像で見せる人間ドラマ。
この骨太な映画も、東野原作があったればこそ。
ブームというのは一時的なもの、という見方もできます。
しかし、正史・清張文学も、幾度もそのようなブームを周期的に引き起こしてきた。
ブームにも一過性のものもあれば、周期性のものもあり、周期性のものの中にはかなりの永続性を持つものもある。
このガリレオ・ブームは長い周期の中の一ページに過ぎない。
東野作品群は、きっとこれからも未来に、幾度も大きなうねりを持ったものとして立ち上がってくるだろう。
それはきっと作品の中に、ちゃんと「人間」が描かれて存在し、そして「真実」が描かれているから。