クラス・オブ。ボイドタイム |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

一昨日の午後、岡山に戻ったのですが、

きつかったのは、すぐ後に大学の講義が控えていたことでした。

疲れていようが、どうであろうが、私のコンディションなど、生徒には何の関係もありません。

しっかり、いつものようにやらねば。


じつはこの日の講義分の準備は、先週の講義時にはすべてそろえていました。

とても当日は準備などできないとわかっていたからです。

教室は七階。
いつもは運動を兼ねて階段を上るのですが、さすがに一昨日は体力に余裕がなかったので、エレベーターを使用。


講堂にはいつもより、若干、多くの生徒たちが。

そして……


ざわざわざわざわ。

静まらない~~~。


一部だけど、生徒の私語が止まらない。
どころか、笑い声まで立てる始末。

なるほど。
ボイドタイムだったか。

と思いだしました。
「次の週はボイドだから注意しないと」と、前回の時にも思っていたのです。

私の講義の理想は、「面白いから聴く」という態度に生徒をさせることです。

そのための努力をここ数年行ってきていて、実際、「先生の講義は面白い」と言ってくれる生徒は増えました。
それが多少の世辞であろうと、まったく夢にも思わないようなことなら言わないはず。

しかし、一昨日はさすがに私も、少しばかりいつもより気力が欠けていた部分があったかもしれません。

でも、気力充実時でも、明らかにボイドでは、どうも自己制御が難しくなる生徒がいるようです。
ボイド時には講堂がざわつくことが多いのです。


90分の講義中に、私語を止めない彼らのところへ足を運び、注意を行いましたが、何度目かにようやく低下。

それでも彼らはテキストもノートも持ってきておらず、まじめに受講しているわけではないのは明らかです。


もちろん、普段から真面目にやっている人のほうが圧倒的多数で、そういった生徒たちには何の問題もないのですが、授業をエスケープしたりするような生徒は、どうしてもボイドタイムでざわついてしまう。
(これは、比喩的表現ではなく、その何度も注意を促した生徒たちは、以前の講義でエスケープをしているという確証があったりします)


あまりひどいようだと、講義の進行にも障りますので、彼らのゼミの先生にでも相談するしかないのですが。


百何十人もいる講堂。

やはりボイドは、難敵です。



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