花粉症で昨夜、鼻が決壊していたzephyrです。
昨日は私が氏子総代をしている村の神社のお掃除の日でした。
年に二回、だいたいお彼岸の前に行うのですが、といって「彼岸」という概念はどっちかというと仏教的なものじゃないかと思うのですが、調べてみると、それだけではなく、春分・秋分の日を中日として、その前後の7日間のことをいうわけで、春分と秋分が人間の生物としての何らかのリズムの節目になっている可能性はあるよなあ……
占星術でも春分と秋分は重要な日ですし。
というようなことを考えてしまったのは、今朝、実は夢を見たからなのです。
前後の記憶はほとんどないのですが。
我が家には一階と二階、二つのトイレがあります。私が階段を下りて行こうとすると、ふと気づくと、二階のトイレの扉が閉まろうとするところで、その隙間に父の姿が垣間見えたのです。
父は昨年の6月に亡くなっています。
私はあわてて階段を下りて行き、居間にほかの家族がいるのを確認します。ほかの誰かと見間違ったかと思ったのです。
我が家は私と奥さん、子供二人、そし私の母の五人、プラス、猫のリブラで暮らしています。
私はほかの家族に「父が二階のトイレに入った」ということを告げ、二階に戻ろうとすると、ちょうど父と階段で出会います。
「帰ってきたかったんじゃ」と、父が。
その言葉を聞き、私は胸落ちします。
「ああ、そうか。帰ってきたかったんか」と。
よー、わからんけど、父は若干、茶髪になっていて、少し若く見えました。
その後の経緯はよく覚えていませんが、2002年に亡くなった祖母も自宅内にいるシーンがありました。
目覚めてから、はたと「そういや、お彼岸だっけ」と気づきました。
それにしても、死後、わりと私の夢に出てくる人だな、父は。
やっぱり時期的なものだろうな、これは。
彼岸というものにも、なにかしら意味はあるのだろう。
(もっとも、彼岸ということを記憶している私の脳が、それにストーリー的に合った夢を見させたという、とても現実的な解釈も可能でしょう)