私は大学を終えた後、ちょっと時間をつぶしてから、SKホテルへ向かいました。
「火曜日にKさんご夫婦が来ます」
とレストランの責任者の方から知らされていたからです。
今でこそ週末くらいしか勤務しなくなりましたが、約20年、働いてきたホテル。
十数年はバイト、2007年の秋からは配ぜんスタッフとして。
長い歳月の中には、当然ですが、「自分のお客様」というものが出来てきます。
まっとうに仕事をやっていれば、かならずできますし、その中でも本当に濃いつながりができるお客様というのも生まれてきます。
たんなる「よく知っている」とか、そういうもの以上のです。
Kさんは、そんなお客様でした。
ここ4年ほどは足が遠のいていましたが、本当に久しぶりにご来店。
「これはご挨拶に行かねば

かなりのご高齢のご夫婦。
しかも奥様は、再生不良性貧血を克服された方。
数年前、よくお見えになっていた頃は、術後の治療の辛さを、よく訴えておられました。
スタッフのユニフォームでなく、大学アフターだったのでスーツ姿の私に、きょとんとされておられましたが、Kさんは再会を非常に喜んでくださいました。
握手。
久々にお目にかかって、でも、ぜんぜんお二人とも衰えておられなくて、元気そうで……。
レストランでお食事中だったので、あまりおじゃましませんでしたが、わずかな会話の中にも、このホテルに来るのに私がいるかどうかというのは、ずいぶん気にかけてくださっていたみたいでした。
「いるかなあ? いや、でも、もういないかも。いても、火曜日は大学だから」
とか話されていたようで、よく覚えてくださっていました。
フロントでも私のことを話題に出していたようでした。
本当にうれしいことです。わざわざご挨拶に来た甲斐もあります。
レストラン・サービスを通じて、Kさんご夫婦とよくお話しするようになった頃。
私も苦闘していました。
さまざまな面で。
その後、私は私なりの道が開かれて行き、同時にKさんもその後、お見えにならなくなっていました。
が。
なんでしょうね。
今、同じような周期で困難を越えたKさんと再会してみると、やっぱりなにかのバイオリズムのようなものがあるのかなと感じます。
Kさんもまた乗り越えて、そこに。
そのお姿が、とてもうれしく思えました。
そういえば、このところ、よく昔なじみのお客様に遭遇します。
先月の初旬だったか、やはり別なKさんというお客様がレストランにお見えになられていました。
けっこう忙しい日で、私はご来店になるまで、予約のお名前を見てもそのKさんとは知らずにいました(まあ、普通に多い名前なので)。
ご家族でお食事。
でも、最初にテーブルのそばを通りかかったとき、目と目が合って、どちらともなくお互いをちゃんと認識しているよ、というシグナルが。
その段階で、すでに「いらっしゃいませ、お久しぶりです」「おお、久しぶりだね、君」というような交感が、ちゃんと成立しているのです。
お魚料理を出したときに、「ねえ、ちょっと聞いてみようか」などと、ご家族で話しておられ、こちらに矛先が。
「長いよね、君は。いつからいるんだっけ」
「もう20年以上になります」
「そんなもんかなあ。うちの子がまだ小さかった頃からいるでしょう」
「ええ、覚えてますよ」
「娘があそこのピアノを弾いたりして、ご迷惑をかけて」
「ええええ、そんなこともありましたっけ」
このkさんはホテルの創業時(1987年)からのお客様で、やはりここ何年間か、ぱったりご来店が途絶えていました。
実際、私以外にそのKさんを知っているスタッフは皆無で
「(親しげに話していたので)お知り合いですか?」
「いえ、昔からのお客さんです」
たぶん、Kさんのことをちゃんと認識できる人間は、もうホテルにはいないかもしれません。
創業時から籍を置く社員もまだいることはいるのですが、部署が違ったらもうそのお客様を認識することはない可能性もあります。
「たまにしか来ないけど、やっぱり知った顔があるとうれしいよね。ほっとするよ」
Kさんはそう仰ってくださいました。
そして、しばらく昔話や時の流れの中にあるお互いのことなど話しました。
人間関係は宝。
あらためて、そう実感しました。
このKさんなどは、最初のKさんほど親密な関係は持っていませんでしたが、それでも薄く浅いつながりがずっとあった。
長い間には切れてしまうつながりもあるかも知れません。
しかし、切れたように見えて、やっぱりどこかでつながっている。そんな関係もあるでしょう。
その関わりは多様です。
ホテルはこの地球に似ています。
ひととき、そこへ集まる人がいる。
この世に生まれることを決めた魂たちが。
そこで濃い接触も生じるし、浅く長い接触が生じることもある。
どっちにしても、その出会いを大事にして、自分の出来ることをすること。
それだけではないか。
ホテルマンとお客様の関係も同じ。
自分ができることをちゃんとすること。
ただ、料理を運んで出すとか、問われたことに答えるとか、望まれる飲み物を持って行くとか、それだけちゃんとすればいいわけではない。
気持ちを通わせること。
それが本当に必要とされること。
それができれば人間関係は宝になる。
ホテルだけではなく、この世に生きる私たちすべてに。