孝司は老人の言葉の意味を、少し考えた。
海王星を使っている。
「使うと、どうなるんですか?」
「海王星に限らず、どんな星も使う方がよいのです。もちろん、良い使い方もあれば悪い使い方もあります。たとえば火星はさっきいったような意味の他に、怒りや暴力、戦争として働くこともあります。そんなもので使うより、機械をいじる仕事として使う方が、ずっとましでしょう?」
「それは、まあ」
「海王星も同じです。海王星が悪く働けば、嘘偽り、不実、不倫といったコンディションになってしまうこともあります。もしあなたが海王星を今のガソリン・スタンドというお仕事で使っていなければ、海王星の力は使われないまま温存されていて、今のこの海王星の影響が強まる時期に、海王星の悪しき側面が強く出た可能性もあるのです」
「しかし、消えるような運勢なんですよね」
「そう。海王星は物事を雲散霧消させる効果があります。こういうときには、たとえば職場でも立場が弱くなってしまいますし、物事に何らかのはっきりした成果を出すことは難しくなります」
まったくその通りだと思った。
孝司はスタンド店長になれなかった。それどころか、今の厳しいご時世の中で、リストラされる可能性さえある。
それに消えるということの究極は、自分がこの世からいなくなることだ。
海王星の影響を、もろに受けているではないか。
「基本的なそういう運勢であることは間違いないし、背後には冥王星の破壊的な力も働きますから、海王星は非常に強い無化の効果を持ちます。しかし、それでもあなたがこれまでの人生で海王星と強く関わってきたのであれば、少なくとも海王星への免疫はありますし、力をそれだけ使ってきたことになります。
起きる出来事は緩和されます」
なにが緩和されるものか。
もう瀕死の状態だ。
「いかがですか? 問われるままに、今のあなたの運勢を読んでみましたが……」
「え? ああ、そうですね……」
ここまでの老人の言葉は、程度の問題はあるかもしれないが、恐ろしいほど的を射ていた。
「そういう運勢は変わらないんですよね」
「あと、一年半ほどは強く働きそうです」
「一年半も」
「その頃には海王星も冥王星も、あなたへの影響を弱めます。ここが一つの正念場かと思います」
「まあ、思い当たることはあります」
孝司はしぶしぶ譲歩するような気分で言った。
「たしかに今、職場でもいいように扱われていないと思いますし、父も脳梗塞で倒れて病院に運ばれました」
「それは大変ですね。大丈夫だったんですか」
「まあ、もう退院しています」
「それはよかったですね」
さすがに今の自分の状況を詳しく話すつもりにはなれなかったが、
「今の仕事でも、もしかすると切られる可能性もあるんです」
という程度のことは言ってみた。
老人は少し考え込んだ。
「……いや、私はたぶんあなたは切られないと思います」
「それはなぜ?」
「今の時期、海王星はあなたにもっとも近づくはずです。あなたがこれまでまじめに働いて来られたなら、今の職場で完全に立場を失ってしまうということはないと思います。
むしろ、海王星、ガソリン・スタンドとの接点は強まるという読み方も可能です」
どうだか。
それは怪しいと思った。
「私はその、今の運勢はそんなんでしょうが、もともとはどうなんですか? いい運勢なんですか?」
「はい。ただ、一概に良い運勢悪い運勢という分類は、かなり乱暴です。厳しそうな運勢を持っていても、幸せに生きている人は大勢います。このホロスコープには、決して表示されない事柄があるのです」
「というと?」
「それは本人が幸せかどうか、ということです。その結論はホロスコープには出ない。一見良さそうな運勢のホロスコープでも、不満だらけの人生を送ることもあり得ますし、その逆もあり得るということです。
ただ、そういうことを考慮しても、普通に考えて、あなたのホロスコープはそんなに悪いものじゃない」
「どういうところがいいんですか?」
「たとえば結婚運にしても、かなり良好です。たぶん離婚などもないし、お子さんに関する運勢も良いようですね」
そんなはずはない、と孝司は思った。事実、広子は家を出て行った。
このまま離婚する可能性も非常に高い。
「ご結婚は?
「してます」
「では、奥さんや家族を大切にしてあげてください。それがあなたを幸せにする、大きな要因となります」
大切にしたくても、できないんだよ、と思った。
「ただ、今のあなたには先の海王星と冥王星以外にも、金星の状態が良くない。かなり厳しい状態で、あなたはこの金星に結婚や金銭面の運勢を握られていますので、一時的に問題が発生することはあると思います。
しかし、あきらめず努力することでかならず解決できます」
「努力のしようがないとすれば?」
思わず言った。抑制したつもりだったが、いらだちが声音ににじんだ。
老人はわずかに目を大きくし、しかし、すぐに穏やかなまま言った。
「他人にやさしくしなさい。それがもっとも海王星をうまく使う手段です」
「やさしく?」
「海王星は無私の星です。何も考えず、ただ人に尽くすことです。自分のことは今は脇に置き、人のためにできることをすることです。自分から無になることです」
孝司は老人の言葉に、軽い衝撃を受けた。
無になろうというのは、自分の考えていることだった。死ぬことで。
しかし、老人は違う意味での「無」を提示していた。
「きっと、そんなあなたを助けてくれる人がいます。友達か……」
しばらく孝司は沈黙した。
助けてくれる友達などいない。今の苦境を相談など、軽々しくできない。体面もあるが、では、お金に困っているという現実を誰かに相談し、では、金の工面をしてくれるのか?
NOだった。
そんな友達はいない。
誰に話したところで、どうにもならないと分かっていた。
「……わかりました。どうも、ありがとうございました」
孝司は話の切り上げ時だと思った。料金を払おうと、ポケットに手をやった。
老人はそれを手で制して、言った。
「一つだけ、あなたにしてほしいことがあります」
この物語はフィクションです。