父の告別式を終えました。
享年77才(数えで78才)。
我が家は大家族だったので、過去には四回、同居家族の葬儀の体験(曾祖父母、祖父母)はあるのですが、今回は初めて喪主の立場でした。
皆さん、「お疲れを出しませんように」などとお言葉をかけてくださるのですが、そんな言葉が定番になってしまうほどに……
やはり、人ひとりをあの世に送るというのは、大変な作業なのでした。
心情的にというよりも、もろもろの雑事に追われてしまうことのほうが大きいようです。
心情的にきつかったのは、むしろ亡くなる前でした。
父は今月の7日だったかな、そのあたりで入院しました。
肝硬変の末期。
それでも日常的には、母が主体的にやっている椎茸栽培の手伝いをしたり。
ちょっと点滴を受けたりすれば、わりと元気になったりするので、今回もそんな感じかと高をくくっていました。
しかし。
そうではなかったのです。
入院中にみるみるやせ衰え、本当にミイラみたいになって行くのです。
体内の毒素を浄化できないので、アンモニアが体内に回ったり。
腎臓機能の悪化。
さまざまな併発症状が出ていたようです。
顔をのぞきに行っても、眠ってしまっているか、意識が混濁したように返答も怪しい状態。
「これはダメかもしれない」
リアルに感じ始めたのが、月半ばを過ぎた頃だったでしょうか。
私は父が入院している病院と同じ病院でむち打ちのリハビリ治療を受けていましたから、自宅での仕事を終えてからホテルに出勤する前にリハビリを受け、父の病室を覗き、慌ただしくホテルに向かうこともあったのですが、ある日、担当の先生から家族に呼び出しがあり、「話がしたい」と。
もちろん良くなる可能性もおおいにあると希望を持たせながら、そのときに「ひょっとしたら」ということも言葉には含まれていましたし、父の状態を見れば、もはやそのときは迫っているように思われました。
もう何年も前から、そんな身体だったのです。いつ壊れてもおかしくない。
その歳月の間に、同居している息子としての覚悟はできていましたし。
最低限のことはしてやろうと思っていたので、本当にリアルにそのときお世話になるかもしれない葬儀屋さんなど、リサーチし始めたところでした。
23日の土曜日。
私はいつものように自宅で仕事をしたあと、その日は時間がなかったので、病院に寄らず、ホテルに出勤しました。
11時くらいにはホテルに到着し、その日1日の仕事を終えたのが、22時くらいでしたでしょうか。
夜中に帰宅し、遅い晩ご飯を食べ、メールなどネットの情報をチェックして、そろそろ寝ようかと思っていた24日の午前1時ごろ。
病院から「すぐに来てください」と連絡がありました。
妻と母と一緒に病院に向かいました。
病室で待っていた院長先生が真っ先に目に入り「どんな状態ですか」と尋ねると、先生は「誠にお気の毒でございますが」とお答えになりました。
父は酸素マスクをつけたままの状態でしたが、すでに事切れていました。
間に合わなかった、という思いと、閉じられた目の父のやせた顔を見ると、やはり涙がこみ上げてきました。
いろいろと。
本当にいろいろなことがありました。
ここには書けないことが山ほどあり、晩年の父は決してほめられた人ではなかったし、他の家族に迷惑をたくさんかけてきました。
それでも、その死に顔を見て、私は「ああ、自分はこの人のことをやっぱり好きだったんだ」と思ったのです。
そこから一昨日24日の通夜、そして昨日の葬儀と、休む暇もなく時が流れました。
私はふと、23日の朝、目覚める前に見た夢のことを思い出しました。
父が家に戻っていて、リビングのテーブルで他の家族と一緒にいる夢でした。
父の登場する夢など、記憶に残るかぎりまったくほかにないというのに。
23日の朝、私はその夢のことを奥さんに話していました。
虫の知らせなのか。
そのときに気づいてもよかったかもしれません。
父が亡くなる直前に見た夢。
きっと帰ってきたかったんだろうな。
自宅から送ってやろうと思いました。
きっと家に戻りたかったんだろうから。
家から家族で送ってやれば、きっとちゃんとあの世に逝ける。
父の魂の計画は何だったのだろう。
このような死に方をすることが目的だったわけではないだろうとけれど、でも、生きている私たちはこの父との関わりの中で、たしかに大きな学びを得ていると思う。
意味の定義付けは、生きている者が行う納得。
それでいい。
今は父が、安らかな魂の故郷へちゃんと戻っていけることを。
ひとりの子として願います。
ブログやメールを通じて、本当に多くの方からお気遣いあふれるお言葉を頂戴しました。
また所属しているK配ぜんのN所長、Aチーフ以下、多くのスタッフの方々、SKホテルの関係者の方々、ミュージカルでお世話になった関係者の方々から多数のお悔やみのメッセージ、ご弔問を頂きました。
この場を借りて感謝申し上げます。
ありがとうございました。