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過去のブログにも書いてきたのですが……。
私はこれまでの人生で、いわゆる霊能者に何度も遭遇しています。
その経験も踏まえて、ちょっとだけ書かせて頂きますね。
私が遭遇した霊能力者は、たいがいなんらかの「力」を持っていました。
「気がする」とか、そんなレベルではない。
たとえば誰も知るはずのない私の部屋での行動を知っていたり、こちらの思考を読んでいたりとか。
心理洞察能力の高い人間なら、心を見抜くこともできますが、それだけでは説明のしようのない、自分の頭の中にだけであるアイディアを、スパーンと指摘されたりすると、ぐの音も出なくなります。
また科学合理主義ではどうしても説明することができない超常現象を引き起こし、それを目の当たりにさせられると……。
霊能力者との遭遇は何度もあり、その中には「かつては力があったが、今はもうたいした力はなく、その能力で人にたかっている」という人間もいました。
最初は好意であれこれ言ってくるのですが、ある時点になると、「これをするにはどうしてもお金がいる」という話に変わってくる。
そんな人間でも、力の片鱗というのか、わずかばかりの実証を示されると、信じてしまいたくなります。
人格的に、まあ、信じられるのではないかという人もいました。
霊能力者にもいろいろあるということです。
普通の人間にも詐欺師がいるように、霊能力を持った人も煎じ詰めれば人間。
その人が人格的にどうなのかというのが、重大なポイントで、信じられるかどうかというのは、結局そこだと思います。
今日はそれに関わって一つだけ、皆さんに指摘しておきたいことがあります。
それは「当たる」ことに関する錯覚です。
霊能力者でも占星術師でも同じですが、ある程度の能力を持った人なら、「当たる」ことはよくあります。
つまり「当たる」ということは、本当はその人を信じていいかどうかの判断基準には、入れるべきではないのです。
もちろん占いなどは、ぜんぜん当たらないようだと、これも?です。
当たることは判断の中で、一つの材料というのか、じつは最低基準の項目に過ぎないのではないか。
「あの占い師、当たるよ」という評判を耳にしても、「そりゃ、当たるのが普通だろう」と思ってください。
いえば、狐憑きみたいな状態でも、相手の考えを言い当てることなどザラにあります。
「当たる」ことが、信じられるかどうかの材料には、決してならないということなのです。
私は霊能力者や占い師に相対するときは、一般的な人間よりもさらに厳しい基準を適応して見た方がいいのではないかと思っています。
普通の人だったら、これぐらいの嘘やごまかしは許そう、というレベルでも、それぐらいの嘘やごまかしがあるようだと、中身は疑問……くらいでいいと思います。
霊能者も占い師も、人間ですから、絶対に間違うことはあります。
間違うことと、嘘やごまかしを行うことは別です。
比較的最近のブログにも書きましたが、海王星が本宅の魚座に入ったせいで、スピリチュアル系の話題が多くなり、しかも占い師のような職業になりたいという人も増えてきています。
こういう傾向が起きるだろうことは、去年の
<癒しの刻(とき)が始まる>
<海王星・魚座時代の盲点>
などの記事で触れていました。
こういった傾向はさらに加速されるかもしれません。
しかし、大局的にはスピリチュアルなものが求められる時代に来ていることは間違いなく、だからこそその力を持って、人の幸せのためにそれを使っていけるのかどうか、実際に使っているのかどうか、そこが重要な判断基準になると思います。
じつはホロスコープを解読していると、たぶんそのときに良い占い師に遭遇しやすいのか、それともあまり良くない占い師に遭遇しやすいのかも出ていたりするのですが……
こういった話は非常に微妙になってくるので、ここでは禁断とさせて頂きます。
アメンバー記事で書かせて頂こうと思います。