最後の五匹・回想録5 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

プロットの発表、その承認後、私は早速執筆に取りかかりました。

3月から執筆に入り、第1稿の完成は5月の初めでした。4月中にはほぼ完成していたので、まあ、まるふた月の期間だったわけですが。

じつはこの第1稿の前に、0稿というべき草稿があります。
これは書きかけて止めたもので、「違う。なんか違う。こんなんじゃない」と破棄しました。

シナリオ形式での書き方も試行錯誤したので、よけいな部分に気を遣っていたのでしょう。

しかし、1稿は書き始めると、

異常なほど

筆が進みました。


たま~に、こういうことがあるんですよね。
何かに突き動かされるみたいに、次々に文章が出てきて、書けてしまうことが。

普通だったらこの先の展開で詰まって、うーんと悩むようなところでも、その場面が来ると、ほとんど自然に指が動いてキイを叩き、それまでまったく自分が想像していなかった展開で次に引き継がれていく。

この奇跡的な創作の期間、作家は法悦の中にいます。

一種、幸福感があります。

それがほとんど書き終えるまで持続したと言っていいでしょう。

精神的には。


あれ?
精神的?

じゃ、肉体はどうだったの?


そうなんです。

ぎっくり腰になってしまったのです(爆)


それもこのミュージカルの創作中に、春に一度、秋にもう一度。
二回も腰を痛めているのですあせる

もともと私は何度か腰をやったことがあり、ちょっと癖のようにはなっているのですが、半年の間に二度もということは今までにないです。

仕事柄(ホテルの配ぜんの仕事)、かなり肉体的にはきついこともあるのですが、とにかく昨年の二度のぎっくり腰は、程度としてもかなり重いものでした。

執筆のために机の前に座っているのですが、とにかく30分もしたら耐えられないのです。

それ以上、座り続けることができないしょぼん

で、どうしたかというと、机の前に立て膝をして、腰を垂直に伸ばした状態で、机の前に伸び上がるようにして書いたり。

またしばらくしたら座ってみたり。

この繰り返しでした。

腰は一度ある姿勢を取ってしまうと、そこから「伸ばす」「曲げる」という動作をしようとすると、まるで錆び付いて動かない鉄材のようにきしみ、痛みました。

「先生、ひょっとして鬼に祟られているんじゃないですか」

ある人からそう指摘されました(実行委員会の人)。

「はは、そうかもしれませんね」

春には精神的に落ち込むことがあったり、なにかと揺さぶられました。

しかし、そういう悪コンディションでも仕事はできるというのがプロですね~(と、自画自賛しておこう)。

創作そのものには、まったく影響ありませんでした。
たしかにぎっくり腰のせいでペースは落ちましたが、内容的にはすごく充実した作品が出来上がっていく感触を得ていました。

もし、ぎっくり腰がなければ、この話の第1稿は4月中旬には仕上がっていたでしょう。

私はこの創作に取りかかる前、いくつかの神社にお参りしていました。

この伝承に関わると思われるいくつかのポイント。

もちろんその中には由加大権現も含まれるのですが。

鬼というデリケートなものを取り扱うので、失礼があってはならない。

それにミュージカル制作の加護と成功を祈願していました。

本来、私はその種の心霊的な影響を受けない人間で、たぶん鈍感なのでしょう。

何かに守って頂いているような気がすることもあります。

腰は治療してくれるところが見つかり、なんとか持ち直し、そして5月の実行委員会の前には1稿が関係者の手に渡り、会議が開ける状態に持って行くことができました。


小説でも何でもそうですが、本当に「力」のあるものが出来上がったときは、自分で分かります。

脱稿を急いだために未完成の部分も残していました。

たとえば1稿には、歌唱の部分はほとんど抜けていました。

これは制作スケジュールの中に、台本が完成した後に歌詞や音楽の創作を行うという流れがあったためです。
自分としてはこの歌の部分が補完されて、初めて脚本としてもすべてが完全となる、という考えでした。

ところが。


「ほんまに、こんなもんができるんじゃろうか」

まず、そんな声があがりました。

「話はすごくおもしろい」
この点では皆さん、認めてくださいました。

が、あまりにも物語のスケールが大きすぎて、舞台上にそれをイメージできないのです。


物語は序幕で古代、そして現代の部分では(まあ、近未来という設定なのですが)、中東、南太平洋、アメリカ、東京、そして児島。
これだけの転換がある。

私はこういうときのために援軍Hさんを実行委員会に引っ張り込んでいました。

Hさんの属する劇団の舞台では、ほとんど舞台は一つのセットで行われる。

違ったシーンも、照明や役者の演技で違ったシーンに見せればいい。

Hさんに登場してもらって、その手法について説明してもらいましたが、この自信のなさは、とくに実行委員会の男性の方に色濃く見受けられました。

何をすればいいのか分からない、どうすればいいのか分からない、というのが強かったからだと思われます。

むしろ女性のスタッフ、関係者の方々は脚本に触発されて、様々なイメージを喚起され、目の色が違ってきていました。輝いていた。

この「男低女高」というべき現象は、このミュージカルの最後までついて回る傾向となりました。


また衣装デザインを手がけてくださるKさんからは

「脚本も、我々はこれで分かるけど、このままじゃ、一般の人にはわかりにくい」
というご意見を頂きました。

たしかに早期脱稿を優先したために荒い部分はありました。
とにかく台本を見せないと、皆さん、なにも進まないという判断があったためです。

それに前述の通り、歌が入って完全なものとなる予定なので、現状では「わかりにくい」部分が出て当然なのですが……。

私は周囲を見回しました。

M先生がいない。

M先生は国文祭に関わっているために、秋にならないと本格的に参加できない。

自分としては、原作台本を仕上げて、それをM先生に渡せば、「あとはいいようにしてくれる」と思っていたのですが、

「こりゃ、だめだ」
「このままじゃ、リーダー不在のまま、空中分解する」
「とにかくM先生に渡せるまで、自分が関わっていないとこのミュージカルはうまく運ばない」

覚悟を決めました。

歌詞も他人任せになど、どうやらできそうにない(本来は誰か別な人が作るはずだった)。

台本にうまくマッチした歌詞を作れるのは、私自身か、Hさんくらいしかいないであろう。

そして、進行に関わって、できるだけ男たちを鼓舞していかないと。

私は知人のUさんもこのミュージカルに引っ張り込み、参加してもらうようにしました。

Uさんは娘の先輩で、かつて私の仕事上の仲間でもありました。

もちろん役者。

Uさんも皮肉なことに女性。

どこまでも女か~~~あせる

男はおらんのか~~~。


続く。