それは「執着による努力や達成は無意味なのか?」「一段劣るものなのか?」という疑問です。
つまりこれは、私たちがよく知るところの通常の感覚でいう、努力と達成ですよね。
しかし、このシリーズをよくよく読み直してもらえば、お分かりいただけるかと思うのですが、私はそういう「通常の努力」を否定しているわけではありません。
また通常の努力のほうが有効な人、ノストラダムスの逆転法が有効な人、2種類の人間がこの世にはいると思っているわけでもありません。
私は作家ですから、創作に関して非常にわかりやすいたとえをこれから述べさせてもらいます。
一本の物語を作るとき、小説家は人物やストーリーのプロットを起こし、頭の中でいろいろなシーンや物語のテーマに沿って必要なものを、どこでどのように導入していくか、考えたりします。
当然ですよね。
ところが現実の現場では、たとえば締め切りのある雑誌に掲載する小説とかになると、時間制限がそもそもある中での作業になり、これは結構ストレスのかかる仕事だったりします。
編集の方からの要望が入ることもあります。
そうやっていくつか山積みされた条件下で、うまいストーリーが構築できず、悶々とすることも決して珍しくはない。
しかし、そうやって悩み苦しむことも決して無駄なプロセスではなく、そうやって悩み抜き、努力し抜いた結果、あるとき
ピカッ

執筆中も悩み、詰まったりすることも多い。
「この先の展開はどうしよう」
「なんかうまいせりふはないか。なんか違うんだよな~」
そんなときでも仕事を放棄せず、悩み抜いていると、ある時スコーンと抜けて次の展開が湧いてくるものです。
こういう努力は無意味なのか、というと、そんな馬鹿なことはありません。
これは誰しもがやっている普通の努力です。
「甲子園に行きたい!」
といって、日々猛練習に励む野球部の若者たち。
「オリンピックの舞台に立ちたい。メダルを取りたい」
そう願って練習をするアスリート。
「会社を大きくしたい」
「実績をこれだけ伸ばしたい」
「豪邸を建てたい」
「世の中を見返してやりたい」
「絶対に金持ちになるんだ」
どの欲望もある意味、普通です。
私はこういった欲望を捨てることがよいこととは思っていません。
こういった欲望、そして執着するものがあるからこそ、大きな成功や成果をものにすることができるケースが、この世の中のほとんどだということは間違いない。
私がノストラダムスの逆転法を紹介しているのは、そういった「通常の努力」では解決しない問題も、この世の中にはあるからなのです。
ここでもう一つ。
作家にはまったく別な創作プロセスが生じることがあります。
もちろんプロですから、何らかの要請に従って書くことが多いわけですが、時折、まるで霊感にでも打たれたようになって、ものすごい勢いですべてが書き上がってしまうようなことがあります。
私の最も近い体験では、これはミュージカルの脚本を書いたとき、まさにこれでした。
何もとくに悩まなくても、次々にストーリーが出てくる。
人物のせりふも当然、その人が言いそうなこととして自然に浮かぶ。
普通ならこの先の展開につまりそうなところでも、そこまで行き着くと、次の一行が解決してくれる。
まるで最初からどこかの世界で完成している物語を、ただ自分が引っ張り出して文章にしているだけ、みたいな感覚になることがあるのです。
このようなとき、作家は限りなく「無」に近くなっています。
一種のトランス状態に近いのかもしれません。
といって、私には霊感はありません(念のため繰り返します)。
本物の作家ならこのような体験はいくつもの創作を重ねるうちに、かならず訪れているはずです。
一本の作品すべてがその感覚でできあげるというのはまれなことで、通常は最初の普通の努力をするケースと、ふっと何かが入り込んできて書き進められる感覚が入り交じっていることが多いのではないかと思います。
この後者の執筆感覚は、執着を捨て去って無の心境に近くなっているときに起きます。
つまり私は個人体験として、仕事上、ノストラダムスの逆転法も知っているし、通常のプロセスの努力もしていることになります。
つまり一人の人間でも、時として通常の努力では解決しない問題に直面することがある。
そのときにこそノストラダムスの逆転法が有効なのだ、やってみる価値があるのだ、ということを、ただ提案しているだけです。
もちろんこれを有効なものとしてお考えになるかどうかはご本人次第です。
出所がノストラダムスとはいえ、その知識が必ず正しいという保証など、私はしません。
皆さんの判断です。
それからもう一つ、誤解されてはいけないので申し上げておくと、ノストラダムスは自分に相談に来た人々に、この逆転の発想によるアドバイスをしているのですが、これを受けた人はべつに「あきらめて」「無努力になる」わけではありません。
むしろ逆なのです。
「最悪の事態を想定し、覚悟を決めること」が最初ですから、それを考えた上で、今を努力したのです。
その結果、とんでもない大成功や大きな幸運をつかんだということが、今に伝えられています。
次回はどんなときにこの逆転法が有効なのか、またそれは日常的にも使えるのか、という点について。