教師になってから、何度目かの春が訪れた。
麻衣は数年を過ごした最初のN小学校から、転任することになった。
同じ市の南地区の小学校だった。
送別会と歓迎会。
学校ではこの時期、卒業と入学という生徒の入れ替わりだけでなく、大人の行事も盛んである。
N小学校を送り出され、転任したF小学校は比較的郊外にあり、広いグラウンドを持った高台にあった。
「関口先生には、2年3組の副担任をお願いします」
赴任早々に、教頭からそのような辞令があった。
「担任の山埼先生は、ベテランですから、いろいろと教わって下さい」
山埼は40才で、実直で落ち着きを持った男だった。
ふと麻衣は出会った頃の、今野ことを思い出した。
今野はあれ以来、復職することはなかった。
あの程度のことで。
気の弱い男だ。
麻衣はそう侮蔑的に考え、溜飲を下げた。
中村とは二年目に至らず、別れた。
二人の仲が教員の間でも噂となり、それを麻衣が嫌ったためだった。
もともと好きでもなんでもなかった男である。
用が済めば、付き合う必要など、どこにも、片鱗もない。
麻衣はF小学校の転任を、自分の再出発だと考えていた。
ここでの仕事をちゃんとこなし、今度こそ、もう少しまともな男と出会い、新しい恋もしたかった。
「じつは受け持つクラスには、一つ問題があるんですよ。
一応、頭には入れておいて下さい」
山埼の言葉に、麻衣ははっと我に返った。
「は、はい。どんなことでしょうか」
「モンスターペアレントです」
学校や教師に対して、理不尽な要求を繰り返す保護者。
「まあ、僕はこの『モンスター』という呼び方自体に問題があると思っていますが、まあ、そのような保護者がいる生徒がクラスにいるんです。
中倉巧己という男の子の保護者なんですが、かなり手強くて、僕は去年もその子の担任をしていました。
だから、対応の仕方とか、僕がお教えしますから」
「はい。よろしくお願いします」
「あっと、そうだ。それともう一つ」
まだ何かあるのか、と緊張する。
「伊藤実奈という女の子がいるんですが、この子にはちょっと注意してあげて下さい」
「伊藤実奈」
「いやおとなしくて可愛い子ですよ。でもね、去年、ほらN県で大きな地震があったでしょう?
そのとき住んでいた家屋が倒壊して、お父さんを亡くしているんです。
それでお母さんの実家のあるこちらに、去年の途中から編入してきたんですが、かなりPTSDが強く残っているんです」
心的外傷後ストレス障害。
「こちらでも地震があったときに、軽いパニック症状を起こしていましたから、もしそういうことがあれば、この子には注意してあげてほしいんです」
「わかりました」
そうして麻衣の新しい学校生活が始まった。
そしてそれは、最悪の一年の始まりでもあった。
「なぜ、こんな経験の浅い女の先生がうちの巧己のクラスの副担任なんですか?」
麻衣に向けられた攻撃は、驚くほど速やかに始まった。
この物語はフィクションです。