「では、まずあなたのお名前、生年月日をお教えください」
ノートパソコンのキイボードに手を置いた状態で、老人が言った。
「あの、これはどういう占いなんですか?」
麻衣は尋ねた。
老人の外見から、なにかの機器を使うようなものが想像しにくかったからだ。
何か怪しげな水晶球とか、カードとか、そんなものが出てきそうに思えたのに、道具がパソコンとは。
「西洋占星術です」
「ああ。ホロスコープとかいうやつですか」
「ご存じですか」
「前にインターネットで、そんな占いをやったことがあります。
その画面に、私の生まれたときの星の図が出てくるんですよね
「そうです、そうです。
よくご存じですね」
麻衣は自分の名前と生年月日を口にした。
「生まれた時間は分かりますか」
「生まれた時間もいるんですか?」
「結構重要です。もしよかったら、お母さんに電話でもして聞いてみたらいかがですか」
促され、麻衣はショルダーバッグを開けて、中の携帯電話を取り出そうとした。
その瞬間。
ハンカチにくるんでいたペティナイフの刃の切っ先が、麻衣の指にすぱっと切れ目を入れた。
「あっ! つっ!」
慌てて目の前に持ってきた右手の人差し指から、血が流れ出た。
指の側面にななめに、二㎝くらいの切れ目が入ていて、そこから血が勢いよく流れ出した。
とっさに指を口にくわえた。
「ああ、こりゃ、いかん」
老人は驚き、「ちょっと待ってくださいよ」と棚の中から救急箱を取り出した。
「あったあった」と言って、バンドエイドを取り出した。
意外に出血は激しく、老人は一枚きつめに張った上から、もう一枚きつめに張ってくれた。
「あ、ありがとうごいます。すみません」
麻衣は動揺し、汗をかいていた。
「ホント、すみません。これから母に聞いてみます」
今度は気をつけて、携帯電話を取り出す。
「ああ、母さん。あたし。あのね、うん、ああ、今はその話いいから。
ちょっと聞きたいことがあるんだけど。
あたしの生まれた時間、覚えてる? うん、うん。
わかった」
ピ、と麻衣は携帯電話を切った。
麻衣の出生時間を、母親は正確に覚えていた。
それを老占星術師に告げた。
老人はキイを叩き、入力をすませた。
「まあ、以前にご自分でご覧になったことがあると思いますが、これがあなたのホロスコープです。
さて……ふむ」
老人はマウスを動かし、ホロスコープの画面を変化させた。
単純な図面が、なにやら急に複雑になったり、表示されている星を動かしていたりした。
「さて、今日はどういったことを見たらよろしいでしょうか」
「ちょ、ちょっと待ってください」
麻衣は急に我に返り、遮った。
「あの、失礼なんですが、料金はいくらでしょうか」
老人は一時間当たりの料金を告げた。
思ったよりもずっと安かった。
手持ちのお金で十分だった。
「すみません……。
まあ、その、恋愛運を見てもらいたくて」
「最悪ですね」
「はい?」
「今、最悪です」
あまりにも老人のレスポンスが早すぎて、麻衣は目をまんまるくさせ、ついでにぱちぱちさせた。
「いや……それ、どういうことですか」
「おや、聞こえませんでしたか?
サイアクです」
耳の遠くなった老人に対してするように、老人はまるで立場が逆転したみたいに、片手を口の横に立てて、麻衣に向かってやや大きな声で言った。
むかっと来た。
が、相手は老人なので、ぐっとこらえた。
「あなたのホロスコープ・チャートの中では、今、進行の太陽が出生の天王星に合になっています。
これは非常に厳しい。
進行の火星は、恋愛の5ハウスを運行中でハードアスペクトを持っています。
これで恋愛がうまく行ったら、かなり驚きです」
老人の言っていることは、かなりちんぷんかんぷんで分からなかったが、結論だけは胸に突き刺さってきた。
「そもそも出生図の中で、あなたの恋愛運はあまり良くない。
そこへ持ってきて、今現在の運気も非常に悪く、突然のアクシデントや変化、別離を示す天王星とのアスペクトがあるのですから、たった今、別れが起きてもおかしくない」
ぐさぐさ、という感じで老人の言葉が突き刺さってきた。
そうだよ、別れが起きたんだよ、という憤りが湧いてくるが、それをぶちまけるのは思いとどまった。
「そうですか。そんなに悪いんですか」
「今、お付き合いしている人は?」
「いないです」
「そうですか?」
老人に見つめられ、うろたえて視線を外した。
今ここで今野の名前を出すわけにはいかない。
これから殺そうと思っている相手のことを。
ましてや「別れている」ことを、この老占星術師は見抜きかねないような気がした。
「ああ、でもね」
麻衣は良いアイディアを思いついた。
「ちょっと気になっている人はいて、その人との相性って見てもらえますか」
「よろしいですよ」
老人はパソコンを自分の方へ向けた。
「こ……近藤っていう人なんですけど」
適当に名前を作った。しかし、生年月日は今野のものを伝える。
占星術は生年月日で見るものだということくらいは知っていた。
かりに事件になっても、生年月日まではなかなか報道されないだろうし、老人の中で麻衣が「近藤」といった男性と、今野が結びつくことはないだろう。
「ほう……」
老人の穏やかな表情に、わずかに険しさが表れたように見えた。
ややあって、彼はきっぱりと言った。
「この男性はやめておくことをお勧めします」
この物語はフィクションです。