子供たちの目の前で暴力をふるったり、大声で喚き散らしたりしないで」
「なにぬかしとんじゃ、このアホが! てめえが一番母親らしくねえだろうが!
子供のこと放り出して、出ていったくせ、なにエラそうなこと言うとんじゃ!」
「だいたい、あなたは学校のことだってちゃんとしてない。
先月と先々月の給食費が未納だって、学校からあたしんとこに連絡があったよ。
なにに使ってるのよ、いったい。
給食費も払えないの」
「そんなもんはただ忘れてただけじゃ、アホ。
誰だって忘れることくらいあるだろうが。
ぐだぐだ言わずに、てめえはさっさと子供を返しゃいいんだよ!」
「子供たちが嫌がってる」
「嘘たれるんじゃねえよ!」
「なんで嘘なのよ。
今のあんたの状態だったら、当然そう思うわよ」
育美は携帯電話を耳元から10㎝ほど離して会話している。
それぐらい離しても、十分すぎるほど響いてくる怒声だ。
「言っとくけどな、育美。
今のおまえにゃ、親権もなにもねえんだ。
言わば、他人だ。
他人が人様の子供抱え込んどる。
こりゃ、誘拐と同じよ。返さんのなら、警察に訴えるぞ」
「はあ? やってごらんなさいよ、できるんなら」
ばかばかしさが極まって、育美は携帯を切った。
すでに同じような口論が何度も続き、三回目の応酬だった。
またすぐにかかってくるかと思ったが、携帯電話は鳴らなかった。
ため息をつき、育美は寝室を出た。
居間では子供たちが不安そうな表情で座っていた。
テレビがかかっているが、それを見ていたというふうでもない。
子供たちなりに、母親と建彦のやりとりが気になっていたようだ。
あまり聞かせたくなかったので、建彦からの電話だと分かった段階で寝室へ移動したのだが。
「今日、なに食べたい?」
育美は子供たちに尋ねた。
「おばあちゃんは?」
と、有紀が言った。
「おばあちゃんなら、もうすぐ帰ってくるよ」
「じゃ、おばあちゃんのご飯がいい」
ガク、と育美はうなだれた。
子供は正直だ。
育美は料理が下手なのだ。
食べることに喜びは人一倍感じるが、作るのはいつも苦行だ。
なんとかさっさと適当に作ってしまいたいという気持ちでやってしまう。
たぶんそういうのが子供たちにも伝わるのだろう。
昔から育美の家に来ているときは、おばあちゃんの手料理を食べたがった。
育美の母は、プロかというくらい小技の利いた料理を、何気なく作ってしまう人だった。
こんなところでも、自分は母親としてどうなんだろう、という部分を持っている。
基本的に自分勝手なのだ。
人を喜ばすよりも、自分が満足できることのほうが重要。
たとえそれが我が子であっても。
「ねえ、早紀、有紀」
育美は言った。
「お母さん、ダメ母だね」
「そんなことないよ」
ケロッとして、早紀が返した。
「なんでそんなこと言うの?」
「お母さん、自分が情けない……」
涙が滲んできた。子供たちの前では泣くまいと思うのに。
有紀が立ち上がり、育美の肩を抱くようにした。
早紀も同じようにそばに来て、反対から抱きしめてくれた。
これじゃ、あべこべだ。
本当は不安に思っている子供たちを、自分が抱きしめてやらなきゃいけないのに。
だけど、泣けてしょうがなかった。
やがて、育美の母がパートの仕事を終えて帰宅した。
「なんだい、まだご飯の用意、なにもしてないのかい」
母、美奈子はあきれたように目を丸くした。
「ハハ……スンマセン。
子供たちがおばあちゃんのがいいって言うもんで」
「しょうがないねえ」
育美は母と一緒に台所に立った。
指示されるままに肉や野菜を用意した。
「これからどうするんだい。
いつまでもこのままじゃいられないだろう」
鍋に火をつけながら、美奈子は言った。
子供たちを建彦のところから連れ出して三日が過ぎていた。
しかし、たしかにこのままの状態を続けられるわけがなかった。
育美が子供たちを抱え込んでいては、実際に訴えられる可能性だってある。
昨日、学童保育を終えた二人の子供を学校に迎え、車で帰宅すると、建彦が自宅前で待ちかまえていた。
それをめざとく見つけたので、子供たち共々、しばらく同僚の美幸宅に避難させてもらっていた。
しかし、そんな鬼ごっこみたいなことをいつまでも続けられるわけもなかった。
「お母さん」
育美は言った。
「あたし、子供たちを取り返せるように努力してみる」
美奈子は驚いたように振り返った。
「難しいと思うよ、それは」
「でも、頑張ってみる」
もしかすると、家族とはいえ、自分以外の誰かのために本気でなにかをしようと思ったのは、これが初めてだったかも知れない。
翌日、育美は二人の子を建彦の家に戻した。
「母さん、絶対に早紀や有紀を迎えに来られるように頑張るから」
そう約束して。
親権を自分のものにすること。
それがとりあえず目先の目標だった。
会社の業務の合間に、インターネットでいろいろと調べてみたし、動いてもみた。
皮肉なことだが、そのおかげで失恋の痛手は、忘れていられる時間が増えた。
もちろん、とくに会社にいると辛いし、思い出してばかりだった。
しかし、子供たちを取り戻すための行動をしているときだけは、そのことは念頭から去っていた。
けれど、調べれば調べるほど困難な現実が見えてきた。
親権の委譲には建彦の同意が絶対的に必要。
これだけは間違いないように思えた。
市役所や家庭裁判所、児童相談所などにも相談しに行った。
「あなたはね、法的には他人なんです。
ただのオバサンなんですよ」
あるところでは、こんな冷たい言葉が返ってきた。
カッチーン、と来て、猛然とまくし立てた。
「ただのってね、あたしはあの子らの実の母親なんですよ!
それがなんで、ただのオバサンなんですか!」
が、相手はまるで哀れな生き物を見るように育美を見ただけだった。
建彦の父親としての能力の欠如、家庭内での粗暴さなどを理由に、家裁で調停してもらうぐらいしか手がなさそうだった。
しかし、子供たちに暴力を働いているわけでもなく、この程度では実現は難しそうだった。
ひと月。
ふた月。
時間だけが流れた。
その間にも子供たちからSOSコールが二度あった。
そのたびに、育美は建彦と喧嘩のような問答になった。
――どうすればいいんだろう。
ある冬の日没後、やや西に傾いた空に、ひときわ輝く星が現れるのを育美は見た。
土星だった。
その星を、夜空に探すのが、なんとなく習慣のようになっていた。
そして、ふいに育美は思い出した。
≪そうだ。あの占い師のジイサン≫
もう一度、会って聞いてみようと思った。
現実的には難しい。
法律や今のこの社会の枠組みの中では。
しかし、もしかするとあの老占星術師なら、なにか違ったアドバイスをくれるかも知れなかった。
育美は鑑定依頼のメールをまた送った。
〈明日、空いている時間がありますでしょうか〉
〈午後4時からなら空きがあります〉
翌日、育美は老占星術師の元へ再び車を走らせた。
この物語はフィクションです。
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