太陽と月 その認識(アスペクト論) |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

<アスペクト論・序章>
<コンジャンクションは星々のセックス>
<オポジションはもう一人の自分(あなた)>
<スクエアは合わないし、似ているけど嫌い>
の続編です。


すずらんセレスさんからご質問があったので、これに答える形での、今日は「アスペクト論・補論記事」としたいと思います。

>太陽と月との間に生じる「他の天体と異なる特別な意味」とは、単純に「相容れない・合わない」以外に、例えばどのようなものが考えられるのでしょうか?

このご質問は、進行太陽が出生の月にスクエアになる年回りに、受胎、出産された女性の例を挙げ、

ハード(アスペクト)でも新たなものを生み出す力になることはある。
とくに太陽と月の関係は、他の天体とは異なる、特別な意味を持っているようです。


という記事に関連してのご質問です。
お答えしようとすると、やや長くなるので記事にすることにしました。
というのは、これはアスペクトを理解する上でも重要なポイントで、最後におまけで記事にしようと思っていた部分でもあるからです。

太陽と月の問題に入る前に、一つ考えてみてもらいたい問題があります。

たとえば人間が100年しか生きられないと定められていると仮定した上で、次の質問に応えてください。

100年の寿命の人間の、もっとも大きなターニングポイントはどこ?

この質問に、かなり多くの割合でお答え頂けると思うのが、

50年

だと思うのです。
個人的な体験や主観を除けば、100年というスパンの中で、折り返し地点を定めるとすれば、それはちょうど中間点である50年を、普通に想起します。

たとえば牡羊座0度で人生が始まったとして、このターニングポイントは対向の天秤座0度ということになります。
牡羊座0度からはちょうどきっかり180度です。
これはアスペクトで言えば、オポジションになります。

スクエア(=90度)はオポジション(=180度)の、さらに中間点です。
牡羊座0度からいえば、蟹座0度と山羊座0度がそれぞれスクエアです。

このスクエアのポイントは、「人の半生の中のターニングポイント」になります。
つまり四分の一生ですね。
100年生きるとして、25年と75年のポイント。
それがスクエア。


これは牡羊座から始まった人の人生が、創造(カーディナル)→維持(フィックスド)→破壊(ミュータブル)というサイクルを経て、次の創造(カーディナル)に入っていくときが、ちょうどスクエアに該当するのと符合しています。
創造のカーディナル・牡羊座0度から始まった人生は、双子座29度までで一つのプロセスを終え、新しいカーディナルの蟹座に来たときに次なる創造の段階に入ります。
その次の段階がスクエアでやってくる、ということなのです。

コンジャンクション→スクエア→オポジション→スクエア→コンジャンクション。

このサイクルは人の新しい段階、新しいステップでそれぞれ発生すると言えます。
だからこそこの三つのアスペクトは、そういった意味合いもどこかに含んでいるはずなのです。

そういう意味合い。
つまり人生における一つのステップ、節目という意味。

もちろんそれがカーディナル主体で起きる人もいれば、フィックスドの中で内的に発生する人もいるでしょうし、ミュータブルの破壊と拡散の勢いでやってのける人もいるでしょう。

体験する節目はそれぞれ違っていて、常に「創造」の形を取ることはなく、場合によっては「破壊」がターニングポイントになる人もいるわけです。

しかし、節目には違いない。

ということを考えたら、スクエアも単純にハードアスペクトと考えるのは、やはり間違いなのです(たしかにハードっぽい出方なのですが)。

こういうアスペクトが生じるときに、太陽や月が絡んでくると、当然、それは人生上のも大きな意味を持つことになります。


なぜ、太陽と月は特別なのか?

<序章>で、占星術では天体の距離はほとんど問題にされず、見た目の位置関係が取り上げられるというお話をしましたよね?

天体はまず「見た目ありき」なのです。
としたら、太陽も月も天空の中に占める大きさ、輝きは、突出したものといえます。
また見た目上、太陽と月はたまたま同じ程度の大きさなのです(不思議ですよね~。本当の大きさなんて、桁違いですから)。

アスペクトはとくにその天体の輝きの及ぶ範囲をオーブとする説もあり、非常に関連が深いです。

そういう観点に立てば、まず太陽と月に特別な意味が与えられても、ちっともおかしくないでしょう?

世界中の神話なんかを見ても、やはり太陽と月は別格であったり、大きな役割を担う神であったりします。

占星術はそうした人の集合無意識の認識とシンクロしていると思われます。

父と母、陽と陰、男と女、光と影、生と死。

このような二元的な要素で作られているこの世の中で、太陽と月がその象徴となっていったのも自然な成り行きでしょう。

かほどに重要な役割を与えられた太陽と月が、コンジャンクション、スクエア、オポジション、そして次回のトラインなどになるときに、なんらかの重要な出来事が生じたり、本人のステップアップが起こっても、まったくおかしくないのです。


たとえば、太陽が双子座15度に生まれ、土星が牡牛座0度に生まれている人がいるとしましょうか?

そうすると進行太陽は一年に約一度進みますから、出生後約40年で獅子座0度まで太陽は進みますが、このときに出生土星とのスクエアが生じます。
このときに体験する試練や逆境は、この人を鍛え、うまくすると忍耐や勤勉さを与えるようになるかも知れません。
が、エゴの強い獅子座に入ったとたんに起きるこのアスペクトで、この人は鼻っ柱をへし折られるような体験をするかも知れません。
入っているハウスによっても、起きてくる出来事は違ってきます。

しかし、この人のチャートでは40才ごろにこのような経験をすることは、一つの重要なポイントとして、欠かせず設定されていたことになります。
それが辛いこと、苦しいことであっても、スクエア、オポジションは、きっとその人のために存在しています。
もちろん成長のために。

同じようなアスペクトが、たとえば火星と天王星の間で生じていても、たとえばそれで「交通事故」に遭うとか、そういう出来事で起きたとするならば、これは本人の成長とは少し離れたところ、ただの外的な出来事と考えることもできます。
(注・無意味に起きることは一つもないので、太陽と月のアスペクト以外は本人の成長とは何の関係もないというのは間違いです。今は分かりやすく書いています)

コンジャンクション、スクエア、オポジション。

これらのアスペクトが太陽や月に関連して生じるとき、これは一つの転機、節目となる可能性や、本人のステップアップ、新しい段階に入ったことを知らせるシグナルと見ても、そう間違いではないでしょう。

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