本物の見分け方 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

先日、ある方から「気功」についてご質問がありました。
気功を使う人の中には、ある意味でスピリチュアルな思想を持ち、そのような発言を行う人もいます。
ご自身で体得されたのか、それともどこかから仕入れてきた知識なのかはわかりません。
しかし、独特の世界観のようなものを持っていて、それを語りながら施術するというようなこともあるようです。
ホントかな、と思いながら、その人が語る言葉には時折、どきっとするくらいこちらの状況や心理を言い当てる部分もあり、それを考えるとやっぱり本物なのかなとも思えてくる……。
そうやって施術が何度も繰り返されるうちに、その人の世界観を受け入れるようになり、また調子が悪くなると幾度でもその人の元へ通って「気」を入れてもらう。

こういったケースで、「本当にだいじょうぶなんでしょうか」「そういう気功の先生には、スピリチュアルな真理に到達している人がいるんでしょうか」「信じられるんでしょうか」というご質問でした。
その方ご自身は、半信半疑というのか、そういうこともあるのかな、程度だったのですが、その方のご友人がもうその先生にかなり入れ込んでいるようなお話でした。
よくわかるお話です。
実際、ちょっと前の私のブログにも書きましたが、かつて私が通っていた気功の先生は、初対面で何も知らないのに私が占星術をやることを見抜きました。
気を相手の体に通してサーチしていると、その人間の様々な情報が伝わることがある、またそれを感知できる気功師がいるのです。

これは微妙なお話なのですが、私は個人的にはこのように考えております。
気功であろうがレイキであろうが、霊感師であろうが、また私のやっている占星術であろうが、それを行う人間が相談者や患者のことをちゃんと考え、相手の状態が良くなるようなアドバイスや施術がちゃんと行えているかどうか、ということを客観的に見ていく必要があります。
その人が持っている独特の世界観、スピリチュアルな思想などを受け入れる必要はありません。

もっと話を単純化すればわかりやすいと思いますが、占い師や気功師、霊感師などのところへ出向く人というのは、好奇心や単にそれが好きという方もいますが、基本的に何かを患っている、何かの不調を抱えていることが多いわけです。
これは体の調子を崩して、医者にかかるのと同じです。
お医者さんがちゃんとした知識と判断力を持ち、処方を行える先生だったら、患者に適切な投薬なり、薬を出す、あるいは生活上の指示などを行って、「もしこれで改善しないようなら、またおいでください」という話になるでしょう。
多くの場合は、これでOKなのです。風邪を引いた程度だったら、一回病院に行けばそれで治ります。

かなり前にこのことも書いたのですが、私は鑑定でお会いする人に、根本的な部分については時間をかけて解読を行い、非常に多くのことをお知らせします。
その人がちゃんと理解して、努力さえしてくれれば、場合によっては今回限りですむように。

リピーターになってもらって、何度も来てもらうために情報を小出しにするというようなことは、私はしていません。
チャート解読でも、根本の部分さえつかめれば、後は本人次第だからです。
だから、あまりにも同じような質問を何度も行い、本人は何も努力しない、自分ではなく周囲の方で自分の都合の良い方向へ展開してくれるのを、我欲にとらわれて待っているだけ、といった相談者の場合、お断りしているケースさえあります。
鑑定は何の役にも立っていないし、役立てようとしていないからです。

もちろんケース・バイ・ケースで、いろいろな問題が発生し、そのたびに悩みや迷いが生じてくることもあります。そういう方をお断りしているわけではありませんよ、念のため。

ただ、占星術師にせよ霊感師にせよ、その人がちゃんとした知識や技術、能力、人間としての徳のようなものを持っているならば、自分の思想を相手に浸透させ、何度も何度も自分のところへ通ってこさせるようなことはしないのではないか、と思うのです。
医者と同じだからです。
治れば用がない。
占星術師も気功師も、霊感師もそういう存在です。

もし、商売そのものでそれをやっている人がいたら、どうなるでしょう?
患者をあえて完全には治さないのではないか、ということが考えられます。
重病でなかなか治らない人もいるでしょうから、そのへんの判断が微妙なのです。
しかし、さして重い症状でもなく、それでも何度も何度も通って、症状がいっこうに良くならない。
ちょっとたったら、また悪くなって気功師のところへ。
こういうことを繰り返しているとしたら、それは根本的な治療にはなっていないことになります。

人の心の内面を見抜くことは難しいし、その気功師、占星術師、霊感師が本物かどうかという判断も難しいものです。
けれど、その施術者の周辺がどうなっているかを見ることは、誰にでもできます。

個人的な考えですが、ざっくり見たときに、その施術者にお礼を言って「巣立ってゆく」人が多ければ、それは本物かも知れません。
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