虹に教えられたこと |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

日常的に使用するパソコンの機能は、ほとんど復旧させることができました。
やっぱ、リカバリィって大変ですね。
あとはパソコン本体のアップデートくらいでしょうか。

昨日は勤務しているホテルで虹を見ました。
そのちょっと前から、あることがありました(なんのこっちゃ、わけわからんですよねあせる)。
不思議なもので、気にかかっていたことが、それでほぼ解消されました。
そのとたん、虹が。

ちょっと唖然としました。
日没の前、雨がちな日だったのに、ほんの一瞬です。もう陽が傾きすぎていたので、見えていたのもわずかな時間でした。
そのころ、西の空はこんなふうでした。

ZEPHYR-090701_1916~03.jpg

きれいな幻想的な空でした。

解消されたというのは、昨日の記事に関する悩みではなく、まったく別に存在していた問題です。
自分さえしっかりしていれば、物事はなるようになっていくんだと感じました。
しっかりというのは……。
そう、たとえばちゃんと光の方を向いているとか、悩んでいても落ち込んでいても、まわりの人間をちゃんと愛していこうとすることとか、人を恨まず、憎まず、妬まず、理不尽に怒らず……そんな感じでしょうか。
私は因果応報の法則を強く受けるタイプなので、ほかへ悪意を放射することだけは避けなければなりません。
たちまち報いを受けます。悪意は悪意となって自分に跳ね返ってきます。
「鏡の法則」がこれほど明瞭に現れる人間も少ないか、というほど。

人を不幸にすれば、自分もまた不幸になる。
単純明快です。

私は人を安心させたり、希望を持たせたり、幸せを引き寄せるお手伝いをしたり、そういうことを主眼に占星術をやっています。
もこさんの言われるとおり、違うタイプの占い師もいて、決めつけのような厳しい言葉を聞き、それで目が覚めるというケースもあるでしょう。
誰が正しいというのは、根本的にはないのかもしれません(心遣いあふれるコメント、ありがとうございます)m(_ _)m

もし正しいとか間違っているというのがあるのなら、自分が行ったことで自分自身が幸せになれたか、喜びを感じられたか、ということしか、判断基準はないのかもしれません。
傲慢でさえなければ。

ちぃさんのご指摘も、とても重要なものと受け止めました。
>流れる危険があるから注意して、と伝えられ、それでも残念な結果になってしまった場合、その人は自分を責めるしかなくなりませんか?
たしかにおっしゃるとおりです。
そういった配慮も当然してしかるべきで、これは私があまり考えたことのないものです。

こうした問題についてのご質問を受け、曖昧に留められるかということは微妙です。
それでうまくいくケースもあるのですが、クライアントによっては真剣にそこのところを突き詰めて知りたいのだという場合もあり、チャート上に明示されている「本当に厳しい状況」を知ることによって、かえって救われるようなケースもあるからです。
そういったことは、私も作家なんだから、その時々でいい言葉と対応を選べばいいということなんでしょうね。セオリーはないのが占星術の鑑定です。100人いたら100の対応が必要です。
そういう努力を怠っていたのかもしれません。

いつしか自分の中にある型のようなもので対応しようとしていたのかも。

このところずっと鑑定をしながら感じていたもやもやの正体。
どうやら、それのようです。

既存の知識、既存の技術。
そんなものにいつしか頼り切っていたのではないか。
それで解決できると思い上がっていたのではないか。

そんなものの上にあぐらをかいて、あれこれチャートを読み取られて言われても、鑑定される人も迷惑。
あほじゃん、オレ。

昨日の虹は、そんなあほな私に神様が送ってくれたメッセージかもしれません。
自分さえちゃんと光の方を見ていれば、きっとなるようになっていく。
そこのところさえ失わなければ、きっとちゃんと導かれる。

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