占星術の鑑定に限らないのでしょうが、こちらの思うことを正確に相手に伝えるというのは、難しいものです。
そういった事例が二件、同じ日にありました。
やはり調子に乗るな、という戒めではないかと感じましたので、今日はこれについて書いておこうと思います。
鑑定を希望される方というのは、当然のことですが、こちらをある程度信頼して依頼なさいます。
ちょっと遊び感覚で自分の恋愛や結婚の事を聞いてみようという方もいらっしゃいますが、多くは真剣な悩みや将来についての不安を抱えておられます。
もちろんこちらもそれに答えるために知識と技術と、そしてチャートの奥に潜むものを見抜くための洞察力や勘を働かせて占ってはいるのですが、やはり時に相談者の好ましくない未来が提示されてしまうことがあります。
たとえば男縁が極端に薄く、なかなか良いご縁に出会えそうにない、とか。
一年後二年後の未来に、かなり厳しい星の配置が確認されたり。
苦しいこと辛いことは、誰しも経験したくはないのが普通です。
しかし、たとえば男縁の薄い女性にはその事実を伝えておかないと、数少ないチャンスを逃してしまう危険もあります。
近い未来にあるハードアスペクトについても、伝えておかないと、それが何らかの事故やアクシデントにかかわるものであったなら、起こってしまってからでは遅い。やはりお教えしておかなければ、大難を小難に変えることもできません。
「来年は子供を作るのに良い運気ですか?」
と質問されて、もし厳しいハードアスペクトがあれば、
「あまり適切ではないです」
とお答えするしかないのです。その中に流産の危険が見える場合もあり、もし見えていたなら、やはり注意してもらうためにお伝えしておかなければなりません。
しかし、たとえば子供の受胎一つとっても、なにも「良い運気」だから受胎するとは限らないのです。
私たちの子供二人に関して言えば、父である私、母である妻、それぞれのチャートの中で太陽と月がトラインやセクスタイルタイルといったソフトアスペクトを形成するときに受胎するか、出産のときを迎えるかしてします(この配置は見事なものです。見ていてもため息が出ます)。
ほかでもそうした例は確認できます。
だから、逆算的にそうした太陽と月のソフトアスペクトのときや合のときに受胎はしやすいか、それを誕生のときと考え、その約10ヶ月くらい前を受胎のときと考えるというようなことは可能です。
ですが、ほかにも考慮すべき問題はあるのです。
<受胎と生命の誕生についての占星学的な考察>で書いたように、一人の子がその両親の下に生まれるのは奇跡的な出来事です。
子は親と運命をどこかで共有しています。
チャート上それが確認できます。
たまたまそうなるのではなく、必然的にそうなっています。そうとしか考えられません。
そのような都合の良い日時に、子供が誕生するというのは宇宙や自然界の摂理としか考えられないし、それはもはや人の考え、個人の思惑ではコントロールできないものがあります。
この親に対しては、この子はここでしか生まれ得ない。
みな、そんな日に生まれているのです。
その日に生まれようとすると、親御さんがハードアスペクトのさなかに宿るしかなかった、というようなケースも考えられるのです。
流産などの危険な配置が混合している場合もあります。
そのようなケースでは事前に、やはり危ぶまれることをお伝えしておかなければなりません。ちょっと注意してもらえればうまく安定期に入れたのに、不注意から流れてしまったというようなことになっては、申し訳がないからです。
ただ、現実にそのようなハードアスペクトの時期に妊娠して、その後、私が言った言葉が不安や恐れにつながってしまう場合もあります。
いくつか考えられる可能性の中の一つであったとしても、その「流産」という言葉だけが非常に強くその人の心の中に残ってしまい、毎日不安に思ってすごす、などということが、現実にありました。
この点、私は深く反省しなければなりません。
子供を宿した女性のメンタリティというものを、もっとデリケートなものとしてとらえ、言葉を選ぶべきだったのでしょう。
しかし、問われたらやはり答えなければなりません。
答えたら、やはり同じようなケースは発生するものとも考えられます。
いっそ、こういった問題については「答えない」のが正しいのか、と悩みます。
不安に思わせるぐらいだったら、何も言わないのが正しい姿勢という考え方もあるからです。
ほかにも、まったく別種の問題なのですが、リピーターの方で、前回の解読が十分でなかったために、「ちょっと落ち込んでいました」という方がいらっしゃいました。
こうしたことが同じ日に目の前に突きつけられてきたことも、きっと私の慢心を戒めるためと感じています。
もっと謙虚になり、もっと虚心になって解読しなければ。
私は人間ですから、間違いも犯しますし、未熟な点も多々あります。
こんなブログを書いていると、いつの間にか占星術師としての私のイメージが勝手に一人歩きしてしまい、えらく大きなものになってしまう危険もあります。
私は、ただの普通の人です。
