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2005年8月にスタートしたこのブログも、3年ちょっと。早いものですね。
おかげさまで、右肩上がりといったら変ですが、いくらか発展的になってきたように思います。
昨年にはランキングも最高36位を記録しました(このランキングはどういう判定なのか、今ひとつよく分かりませんが)。
ありがとうございます。
これも皆様のおかげです。
そしてこの記事で、テーマ別に見ると「ブログ」はちょうど400本。「日記」は200なので、ちょうど600記事に達します(ブログと日記は、おなじものです。そのへん、初期の頃は曖昧なことをやってました)。
600本目の記事には、やはりこれだろうと思います。
私は感情の抑揚に乏しい人間で、基本的にポーカーフェイス、笑いも少ない方だと思います。
もっとも子供の頃はそうではなかったはず。
そうなったのには理由があるんでしょう。
しかし、男の子というのは、いつまでも無邪気に笑ったり、泣いたりできなくなっていく傾向はあります。
それは「男だから」という理由です。
そういう意識が世間にも本人にも浸透している。
だから、いつまでもガキっぽいことはできない。無邪気に笑わない、泣かない。こういうマナーが身に付いていく心理的背景には、男として芽生えたプライドや「照れ」があります。
そして同時期に、「ありがとう」「ごめんね」という言葉も、少なくなっていくのです。
この二つの言葉は、どちらが苦手というよりも、「ありがとう」がなかなか言えない人間は、「ごめんね」も言いにくいように思います。
なぜなら、この二つの言葉は、どちらも人間の素直さに関わっている、素晴らしい言葉だからです。
素直でなければ言えない。
言えたとしても、心理的な抵抗を押しのけてやっと言える。
あるいは、嫌々ながら言う。
そういう言葉です。
もっとも、たとえば自虐的な人は「ごめんね」というのを言いやすいかも知れませんね。
とりあえず自分が悪者になっておこう的な感じで。
しかし、あらゆる意味でプラスの作用しかないのが「ありがとう」です。
本質には感謝や愛が込められています。
日本語の中では、最高に輝いている言葉です。
この言葉が言えないというのは、かなり不幸なことです。その人の周囲には、愛や感謝が乏しくなってしまいます。
私はこういう方を何人か知っています。
その方々を見て共通して感じるのは、プライドの高さ、エゴの強さです。
「ありがとう」を素直に言うには、自分と相手が対等の存在だと認め、すっと感謝を捧げなければ真意は伝わりません。
上から目線の「ありがとう」では、本質から外れているということですね。
そして、プライド、エゴの強い人は、やはり同様に自分の非を認める「ごめんね」も、なかなか言えないのです。
「ごめんね」によく似た言葉に「すみません」があります。
この言葉は、同様に詫びる意味がある言葉ですが、もう少し広範な意味合いで使われています。
たとえば何かを贈られる。
「すみません」
この場合の「すみません」には、「ありがとう」と同様な感謝が込められています。
「すみません」はそれだけ曖昧な言葉であり、「ごめんね」はそれよりもずっと個人的な感情の言葉であることが分かります。「すみません」は社会性のある言葉なのです。
「ごめんね」と言わなければならない場合に、「すみません」をすり替えて使っているとしたら、その人はやはりプライドが高い、エゴが強いといった傾向を持っている可能性があります。
「ごめんね」は自分を低くし、頭を下げる行為だからです。
さて、私なんですが、今の私は「ありがとう」も「ごめんね」も、かなり言える人になっています。
昔は感謝の方、「ありがとう」が苦手だったように思います。
理由はつまらないもので、「言うのが照れくさい」的な心理抵抗だったように思います。
そんな私がかなり言えるようになったのは、妻の存在が大きいかも知れません。
前にもちょっと記事に書いたことがありますが、長女の出産後、間もなく、産院へ検診に行ったことがあります。
そのとき妻は、私が当然持っているだろうと思い込んでいたものがあり、
「持ってない?」
「持ってないよ」
というやりとりの後、私に赤ん坊を預け、車に戻ります。
「車の中にあった。ごめんね。ありがとう」
「いいえ」
妻の言葉には「(疑って)ごめんね。(赤ちゃんを抱いてくれて)ありがとう」という意味が込められていました。
私の「いいえ」には、(どう致しまして。いいんだよ)が込められていました。
そのやりとりを見ていた、その当時すでにかなりお年を召されていた先生は、
「あんたらはええ夫婦じゃ。『ありがとう』『ごめんね』がすぐに出てくる夫婦は、ええ夫婦じゃ」
と、仰いました。
実際には言ったのは妻の方ですから、妻が良いわけです。
素直な奥さんを得たおかげで、私はつまらない男のプライドや照れは、かなりデリートできました。
もちろん、なくなったわけじゃないけれど。
いい意味でのプライドは持ち続けたいし。
でも、「ありがとう」「ごめんね」の邪魔をするプライドは捨てた方が、人は確実に幸せになれます。
これ、間違いないです。