15日は多忙な一日でした。
午前中は某文学賞―――いや、選考が終わった今では、もう倉敷市民文学賞と言っても良いでしょう。
私が審査員であることは、公表されていますし。
審査会はなかなか充実したものでした。
なぜか?
それは選考結果が発表されれば分かると思います。ここでは敢えて言及しません。ミステリーのオチが先に分かると面白みが失せるのと同じですから。
その後、「シナカン」でラーメンを食べて(替え玉もして)、一度帰宅し、メールでの鑑定を二通、完成させて送信しました。
終わった頃には、出かけなくてはならない時間。
やはり占いの用事でした。
よく問われることがあります。
「幸せになれるでしょうか」
これは、ありふれた質問です。占いを希望される方の多くは、この不安から連絡をくれているからです。
しかし、実はこの質問ほどナンセンスなものはないのです。
幸せと、星の配置やアスペクトは、実はまったく無関係なのです。
これは、ぎょっとするような告知かも知れません。
しかし、真実なのです。
たとえば物質的に恵まれることを幸せと定義するのなら、たとえば木星がイージーアスペクトで機能したとき、そういう状況にはなりやすいことはたしかです。
しかし、逆境を意味する土星がハードなアスペクトを仕掛けてきたときでさえ、人は幸せいることができます。
人の精神だけは、ありとあらゆる運命から自由だからです。
手前みそな話ですが、たとえば私と妻の関係は、結婚後、ほぼ幸せという状態を維持してきました(ほぼ、というのは、程度の問題でなく、バイオリズムのようなその時々の強弱の度合いだと思って下さい。まったく一度の喧嘩もなく、完璧に分かりあえている夫婦というのは存在しないと思います)。
この20年の間には、私個人にも苦境がありましたし、夫婦共通の苦しみもありました。
今も決して楽ではありません。
しかし、いついかなるときも私は妻や子供との関係、愛だけは死守してきました。
幸せは、常に私たちと共にありました。
実は最悪のハードアスペクトの時でさえ、人は幸せでいることだけはできるのです。
悪い運勢の時、不幸であるというのは、これは幻想です。
ある人には、これは目から鱗のような話かも知れません。
しかし、そうなのです。
運命は、運気は、天気と同じです。
今日は晴れ、明日は雨、明後日には台風が来る。
こういった単純な事象と傾向が示されるに過ぎません。
しかし、雨が降ったら、あなたは不幸でしょうか? そういうケースもあるかも知れません。恋人とピクニックに行こうと思っていたのに、雨が。
しかし、別な過ごし方を考えればいいのではないでしょうか? たかが雨が降っただけで、2人の関係は険悪になるでしょうか?(そういうこともあるかも知れませんが、それくらいで2人の関係が決定的に悪化するのなら、そもそも未来などないでしょう)。
台風が来たら、不幸でしょうか?
不用意に外出すれば、怪我をすることもあるかも知れません。しかし、出かける必要がなければ、出なければいい。そのとき、家の中で誰と過ごすか、その人とどんな気持ちで過ごすか、それはあなたの意志や心遣いによって決まります。
台風の時に、夫婦揃って出かけなければならない重大な用件があるとしても、そのときに互いに気遣い、助け合っていけるのか、それとも襲ってくる状況を呪い、こんな状況の中で動かなければならない用件を作り出した誰かを恨み、思うように歩けないのでそばにいる夫や妻に、
「もっとちゃんとしろよ!」
「あなたこそ、助けなさいよ!」
という乱暴な言葉を応酬させるのか。
これらは、すべてあなた(あなたたち)次第なのです。
すべてが順調でうまく行っている時、お互いに「幸せだね」というのは簡単で、当たり前です。
苦難の時こそ、2人の本当の愛が試されます。
そしてそれはいつでも維持できます。
どんなにお金儲けができても、人間関係に愛や思いやりがなければ、その人は心の中では不幸です。
お金儲けはホロスコープに表れます。
しかし、幸せは決してホロスコープには表れません。
それはあなたの心の中にしかないのです。