ドタバタの一日だったzephyrです。
今日は、ある女性の占星術鑑定の予約が入っていて、10時から約束していました。
ところが、目覚めてみると、9時!
最近、そんな時間まで眠ったことなどなかったので、まさかと思いました。
椎茸の配達も、市場は休みですが、届けなければならないところが一件別にあるのに……は、果たして間に合うのか?!
目覚めてから、たぶん5分くらいで身支度を済ませ、いつも朝一番で神棚のご飯とお水、仏壇のご飯とお茶を用意しているのですが、神様と仏様に「ごめんなさん、今日はキャンセルさせてください」とお詫びして、ダッシュで出かけました。ひげそりは車の中(走行中のひげそりは大変危険です。皆さん、マネをしないで下さい)。
なんと奇跡のように信号にかからない。
椎茸の配達先で時刻を確認し、「よし、これならぎりぎりセーフだ」と安堵。
約束の場所へ車を走らせました。
結局、10時数分前に到着。
はあ……。
すぐに現れた女性は、以前、鑑定したことのあるKさんの紹介のMさん。
お年頃の女性らしい恋愛や結婚に関することを主体としたご相談から多岐にわたりました。
一つ一つを丁寧に鑑定していき、彼女の納得のいくように説明していると、いつしかパソコンのバッテリーが切れ、スペアを使い、気づくと3.5時間も経過していました。
我ながら商売気がない、と思いました。
「やっていることの中身が濃いわりに安すぎる」と、以前にも指摘されたことがあります。
しかし、結局のところ、自分は占いで儲けたいわけではなさそうです。そういう気持ちがゼロと言ったら嘘になりますが、鑑定で頂く料金はほとんど実費のようなものです。
そのくせ、もう当分相談に来なくても良いくらい徹底的にやってしまいます。
これは商売として考えたら、もうほとんどアホです。
普通は超過時間の分だけとか、質問件数に対して追加料金がかかりますが、そんなものをもらうのはよほどの場合です。後に予定がなければ、時間が許すかぎりしてしまう。
詰まるところ、前記事のように自分が関わった人が幸せになってくれればよい。その一助に、占星術などの私の占術が役立てば、それがそのまま自分の喜びになる。
これは普段やっているサービス業にも通じるのです。
来店されたお客様に満足して帰ってもらう。食事を堪能し、さりげないサービスに居心地の良さを感じて、宿泊の一夜を過ごしてもらう。あるいは、バーで適切な距離感を保ちながらのカウンター越しの会話をお客様に楽しんでもらう。
「楽しかったよ。ありがとう」
「ありがとうございました。ごゆっくりお休み下さいませ」
お客様に満足してもらうことは、そのままサービスマンの喜びに、満足につながります。
それは自己満足ではないのか? という問いもあるかも知れません。
その通りです。自己満足です。
サービス業の奥義というのか、深いところでは、サービスの送り手と受け手、双方の喜びが一致するものなのです。
逆にいえば、サービスしながら、「なんでオレがこんなことをしなきゃいけないんだ」とか「給料もらうために、ただこの時間、与えられた仕事をこなしておけばいい」といった感覚でやっていたら、そのサービスを受け取ったお客様も、たぶん満足感はあまりないでしょう。「こんなもんかな」か、悪いときには「ちゃんとしたサービスを受けられなかった」というクレームにつながります。
私自身、いつもいつも100%のサービスができているわけではないですが、そういった考えは常に頭の隅にあります。
占いもサービス業の一種なのかも知れません。
帰宅すると、息子が熱を出していました。
おでこに手を当てると、確実に8度くらいはあるだろうと思われました。さては私の風邪が感染(うつ)ったか? 祝日だったので当番医へ。
医者で熱を測ってもらうと、9度1分!
息子は診察後、点滴を受け、その後、もう一度、医師のところへ。
若いお医者さんでした。
「風邪ですか、先生」
「まあ、ウイルス性の胃腸炎じゃないかと……(ゴニョゴニョ)」
「はい?」
「風邪という可能性もないわけじゃないんですが……(ゴニョゴニョ)」
どっちだよ。
自分自身、まだ復調していない私は、ここでプチッと来かけました。
会計に行くと、そこではこちらが予想していた倍ほどの金額を告げられ、思わず「そんなにかかるんですか」と聞き返してしまいました。休日診療がかかるから、と言われたのですが……。
いや、べつに何千円かの話ですから、息子の健康のためにそれを惜しむわけでは決してないです。
しかし、医者も診断が頼りない。後で考えてみると、その医者は息子の喉さえ覗いていないのです。腹を押さえて、痛いかどうか確認した程度。
聴診器を胸や背中にも当てていない。
最近、指でとんとんと叩いて調べる触診ができないお医者さんが増えているという話も聞きました。
先日、私が行ったY病院のD先生は、これをちゃんとしてくれました。
今日の先生は、もちろんそれもしない。
それがどこの病院かということまでは申しませんが、薬をもらって帰る頃には、腹が立ってきました。
べつにお医者さんも神様ではないんですから、微妙な症状に判断が難しい場合もあるでしょう。
分からないならそれはそれで仕方ないでしょう。
そういうときには「どっちが原因か分からないですが、両方を考えた上でのお薬を出しておきましょう」とか、はっきり言ってくれればいいのです。抗生物質なんて、どちらの症状にだって効くでしょうし。
それを自信なさげに聞き取れないような声で濁されたら、効く薬も効かなくなります(ビタミン剤だって、その症状に効く薬だと言われて渡されて服用したら効果があるという実験結果があります)。
私にしても、占星術の鑑定で見極めが難しいときは、その星々から考えられる可能性はできるかぎり説明し、「わからないが、このどれか」という言い方をします。
そうすると、たいてい相手の方で思い当たることがあるものです。
つまらないプライドで意地を張ってごまかしていると、ろくなことはありません。
医療は今、様々な事件が起きて、問題が浮き彫りになってきていますが、現場の先生方にはきついこともあるのでしょうが、やはり患者さんを安心させてくれる医者であって欲しいものです。
どうもこの頃、身の回りでご不幸が多いようです。
そんな話をあちこちで聞きます。
フランク永井さんが亡くなられたとか。
先日、緒方拳さんが亡くなられましたが、そのような時期でもあるのかも知れません。
土星・天王星のハードアスペクトは、そういう作用をしやすいのでしょう。
土星には「時」という意味があります。
一時代を築いたような人物が亡くなりやすいのかも知れません。
10年サイクルのこのアスペクトは、また一つの時代を刻むのでしょうね。でも、それは失うものばかりではもちろんなく、新しいものを創造するためのプロセスでもあるのでしょう。
時間に追われた一日だったので、ちょっと長い時間のことを無理矢理考えてみました。
新妻(笑)さん、幸せな家庭を作って下さいね。
あなたならできます。自然体で。
ちぃさん。お互いを意識すること、大事ですね。関心がなくなってしまったら、たしかに愛も冷めてしまうでしょう。それと、愛犬のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。寂しいものですよね。やはり、時かな。