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久々にブログネタに参加しようと思います。
たぶん、多くの人が「愛」と答えるのではないでしょうか?
お金は墓やあの世にまで持って行けるわけではない。
これもよく聞く話です。
しかし、愛も墓やあの世に持って行けるという保障は、じつはあまりありません。
個人的にどう思うかということは別にして、客観的な事実として愛をあの世的な世界にまで持って行けるのかどうか、それを傍証する証言や資料もあります(臨死体験や退行催眠による証言)。
しかし、万人に認められる確固たる情報かということになると、受け取る側がどう感じるかという問題に大きく関わってきます。
たとえば、林檎が今、テーブルの上にあるというのを、見ることさえできたら誰でもその事実を認識できるという類のものではないのです。
見ることのできる人間は今のところ限られていますし、そういうチャンスに恵まれる人間もいれば、恵まれない人間もいる。
またチャンスはあっても、頭から拒否してしまう場合もあるでしょう。
もし人間が死んだら「無」になると信じていたら、愛にも意味を感じにくいかも知れません。
なぜならそれにははっきりとした形もなく、目で見ることもできないから。
でも、なぜかそれを存在しないと言うことは難しいように思えます。
愛など存在しない。
男女間のそれは情欲だ、というのも一面的な見方です。
では、マザー・テレサのような生き方。
それを「愛ではない」と言えるのでしょうか?
それはとても難しいと思います。
自己満足といった心理解説で、マザー・テレサの行動を説明することには、とても無理があるように思います。それは人間のもっとも高貴な部分を、土足で踏みにじるような行いではないでしょうか。
見えないが、愛はたしかに存在する。
私にはそのように思えます。
また私は、個人的にもこのような人を知っています。
それはある企業の社長です。
ワンマンで、自分以外の人間はなかなか信用せず、過去に二度、結婚に失敗しています。
現在はすでに60を越え、それでもなお女性への飢えは強く、キャバクラの女性や素人でもお金で言うことを聞く女性を相手に、励むことだけはやめようとしません。
バイアグラのような薬品の助けまで借りて、本来なら衰えてしまっている男性機能を無理矢理奮い立たせても、女性とのつながりを持とうと。
「寂しいねえ」
その人の口癖です。
本当は、心でつながれる女性を求めていることは、本人も分かっているのです。
しかし、つながることができるだけのものは、なにもなく、結局は「お金」の魅力にたかってくる女性にしか相手にしてもらえないのです。
そして、心のどこかで、それは分かっているのです。
もちろん、お金を持ち、さらに愛を得る人生もあるでしょう。
しかし、二者択一的に重要度を問われたら、「愛」を選ばないわけにはいかないでしょう。
お金がなくても、愛し合う人間が共にある人生の方が、何倍か幸せか分かりません。
たしかに目に見えず、あの世に持って行けるかどうかの確たる保障もありません。
なら、この世に生きている間に、どちらと共に生きるのが幸せなのかということを考えてみたらどうでしょうか。
それが答えになるのではないでしょうか。
ちなみに占星術的には、「愛」と「お金」はどちらも金星が示します。つまり、皮肉なことに本体は同じなのです。
思うにこれは、金星の持つ二つの側面、精神性と物質性を表していると考えられます。