サンショウウオの話30/礼子 |  ZEPHYR

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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

井伏鱒二氏の追悼本の寄稿の中に井伏鱒二氏と河上徹太郎氏との対談が引用されていました。

河上 もうだめだね、おれ達は。
井伏 計算したら阿佐ヶ谷会員は十五人死んでいた。
河上 もう死のう。井伏。
井伏 うん。死ぬか(笑)、しかしもうちょっと待て。

いくつの時の対談なんでしょう。1975年の「文芸」にお二人の名前があったのでこの時だとすると河上氏が72,3才、井伏氏が76,7才…まだまだ大丈夫。
私がテレビで最後に見た井伏氏は90前くらいでしょうか「いい人間はどんどん死んで行く。私はどうも死なない病気らしい」というようなことをおっしゃっておられました。信じやすいので、私もこのおじいちゃんは死なないんじゃないかと思っていました。

井伏鱒二氏はおそろしい人です。
井伏鱒二氏の「山椒魚」は昭和4年「文芸都市」に発表されました(原形は大正12年8月「世紀」創刊号に「幽閉」という題で発表)。このとき他の作品は一斉に色褪せたと言います。なにせいきなり「山椒魚は悲しんだ」です。どうした?何があったんだ山椒魚!、読まざるを得ません。要約するとつまらない意地で密室に閉じ込められることになった蛙と山椒魚の話です。

もう四半世紀近く前になりますか、中国新聞の天風録に井伏鱒二氏が全集を編んでいると載っていました。そしてそこに「山椒魚」の最後の会話が削られたという話が。目が点です。しばらく何が書かれているのかわかりませんでした。そして徐々にギャーッと驚いていました。太宰治が「人間失格」をハッピーエンドに書き直したと聞いてもこれほど驚かなかったでしょう(最近、小畑健さんの表紙はちょっと驚きましたが)。
そう思った人は多かったみたいで、中国新聞には書き直さないでという投書が殺到したそうです。それを聞いて井伏鱒二氏が困られたという記事は読んだような気がするのですが、結局どうなったかしりません。

もうちょっと待っている間に一体何があったのでしょうか、井伏さん。想像すると恐ろしくて未だに「山椒魚」の新しい版は読めないでいます。