占星術予測を行うと、どうやら異様に疲れるようです。
それだけ本気でやっているということなのでしょうが、これは占いをプロとして始めた頃、一日に4~5人もこなすと非常に疲れていたのと同じだと思われます。
人にせよ、世界にせよ、運気を読み解くというのは、時空を超えようとする試みであることは間違いなく、かなりのエネルギーを消費するのかも知れません。
しかし、たぶんこれにも慣れて、さらにエネルギーを常備できる状態になることも、なんとなくわかっています。
さてさて。
一昨日の夜、私が常勤で入っているホテルのバーに、かつての常連さん、Oさんがやって来ました。
ご丁寧にフロントから私に電話をかけてきて、私がいることを確認した上で。
Oさんは10年前~5、6年前までの間、本当に足繁くバーに通ってきてくれたお客さんで、ここ数年間はホテルとの間にサービス上の齟齬があり、足が遠のいていたお客さんです。
その間に来たことは、私の記憶するかぎり2回しかなく、そのときにキープしてもらったボトルがまだありました。
Oさんは取引先のKさんを連れてこられましたが、しきりに懐かしがられ、昔、いかにこのバーに来て、私や他のスタッフに会い、時を過ごすのが楽しかったのかということを話されました。
一昨日も、ただ私がいるという一点だけで、抵抗のあったホテルにやってこられたようでした。だからこそ、確認した上で来られたのでしょう。
Oさんに限らず、何人かの常連だった方の足が、今は遠のいています。
それには複合的な理由があります。
しかし、根本的には「人」なのです。とくにバーに飲みにいらっしゃる方など、そこに好きな人間、話をしたい人間がいるから通ってくるわけで、ただ飲みたいのであれば自宅で飲んでも良いし、一人で居酒屋に行ってもいいのです。
Oさんはその当時(5、6年以上も前)、会社経営も厳しい中、必死に頑張っておられました。自身の発案した商品の開発と発展、その売り込みに躍起になっておられました。
しかし、なかなか活路が開けることもなく時が過ぎ、やがてホテルとも疎遠になってしまいました。
その後、時折、偶然のように町で顔を合わせることがあり、どうやら調子が上向いていることは聞いていました。
今回、バーにこられたOさんから、業界全体が不況なのにもかかわらず、Oさんの会社が順調であることを聞き及び、本当に安心しましたし、嬉しく思いました。
心から「良かったですね、Oさん。Oさんの信念が実を結んだんですよ」と言えました。
世の中には「良いこと嫌い」の人がいます。私の住んでいる町、Kにはそういう性質の人が多いということも、体験的によく感じます。
人が成功すると妬む。
人が幸せになると、差を付けられたように感じるのか、それとも自分の幸せがその分だけ減ったように感じるのか。
たとえば小説の「○×賞」に応募する。
優秀な人が応募すれば、その分、自分が受賞する可能性が減る。これは事実かも知れませんが、そのように感じる人は、まず受賞することは不可能です。
受賞を可能にする人は、「○×賞」への自身の応募に無限の可能性を感じられる人です。
占いの業界で、複数の占い師が顧客を奪い合っていると感じる人。これもまた、事実かも知れませんが、そのように感じる占術家の未来は知れています。
それはもはや視点が、価値観が、違っています。
実際は、無数の人に対して、無数の答えが用意されているのであって、その一助に占術家が関与するに過ぎません(わかりやすいたとえをすると、ロールプレイングゲームで主人公が様々な『町の住人』に意見を聞くようなシーンがありますが、顧客を奪い合っていると感じている占い師は、その主人公を自分のところへ強引に引っ張ってきたいと考えているか、『他の住人』=この場合、自分以外の占い師をなくしてしまいたいと考えているわけです。それはつまり自分に自信が持てない不安から発している=他の占い師よりも自分が劣っているのではないかという自信のなさから来ているわけです)。
占い師個人は、その人の幸せに貢献できるように最善を尽くせば良いだけのことで、他人のやることに気を使う必要は全くない。
同様に小説でも、自身がベストを尽くせば良いわけで、そこに本当は敵対者や、自分を蹴落とす人間は存在しません。
本当に力のある作家は、春が来れば自然と芽が出て、茎が伸び、花が咲くように、しかるべき時、しかるべき場所を得て、実を結ぶことができます。
奪い合う世界。それは人間の恐怖心や自信のなさが作り出した幻想に過ぎません。
その幻想を抱き続けるからこそ、世界は奪い合うものへと現実化していくのです。
しかし、そこから離脱した人間の方が、じつは成果も得やすいのです。
Oさんはかつてこの奪い合いの世界の幻想の中で生きておられました。
しかし、一昨日お会いしてみて、相変わらずのおしゃべりの調子の中にも、「変わったな」と感じる部分がありました。
それは無理矢理、自社製品を売り込んでやろうとか、なんとか見返してやろうとかいう気負いが薄れ、自然の流れの中に身を置いて、社長としての自分の勤めを果たそうとしている、そんな雰囲気でした。
自分自身にも当てはまることかも知れません。
自然に、自然に。
春が来れば、花がひとりでに咲くように。