>「家庭」「家族」、「子供」に絡んだ事件、犯罪(子供や女性が被害に遭いやすいか、あるいは逆に母親が引き起こす犯罪という読み方も可能)。
3月26日の記事、4月の占星術予測で今月起きやすい事件のリストの最初にそう書いていたが、4月になったとたんにそんな事件がたちまち二件、起きた。
神奈川県の丹沢湖で1歳児の死体が発見され、母親も現場付近に車を残したまま行方不明になる事件。
そして青森では、母親が小学生のわが子を電気コードで首を絞めて殺害するという事件。丹沢の事件では、母親は自殺をほのめかしていたというから、自らわが子を殺害し、死を選択した可能性が高い……。
やりきれないような事件だ。
私が絶対に自分にはできないと感じることの中に、わが子を殺すという行為がある。
かりに、自殺したくなるような状況に陥り、自ら死を選ぶとしても、子供だけは道連れにはできないと思う。
彼らの人生は彼らのものだし、それを私物化はできない。
一人残したらかわいそうだからという理由を持ち出すほど、この世の中は絶望的でもない。
たとえば核戦争でも起きて、世界中が放射能汚染され、誰もが遠からず死ぬということがわかっているような、絶望的な世界ではない。
魔物のような人間ばかりになり、弱肉強食で、日常的に殺し合いが行われる恐怖に満ちた世界でもない。
今の日本なら、社会が、国が、その子をなんとかしてやるものだ(十分ではないかも知れないが)。
生きていれば、きっといいこともある。
どんなに辛い思いをしても、生き抜かなければ、終わってみなければ、本当の評価は下せない(下すのは自分自身だが)。
だから、他人(親といえど)がその子の人生を終わらせるなど、あってはならない。
それに、そんな理屈など無意味に感じるほど、私は子供たちを愛している。
あり得ない行為だ。
そんな行為に手を染めてしまう親の心理とは、心の闇とはなんなのだろうか。
それも、「あり」なのだろうか。
それが、「あり」になってしまうという心情とは、いったいどんなものなのだろうか。
きっと乾ききった、砂漠のような心だろう。
そこには草木は育たない。
緑は根付かず、花も咲かない。
それは今、地球でどんどん進んでいる砂漠化と似ている。
けれど、砂漠にも努力と技術で、緑を取り戻させることはできる。
そんな努力をしている貴い方々がいる。
私たちは人の心に緑を植えよう。
花を咲かせよう。
たとえ一輪でも。