ちぃさんとヒメヒコさん、それぞれに有益なご意見ありがとうございます。
前回の記事は、自分でもちょっと言葉がたりてないなと、後で読み返して思いました。
私は打算的な親子関係で良しと思っているわけでは、決してありません。
「デウス・エクス・マキーナ」を執筆したときに、日本人の歴史を文学との関わりで見直していったときに、やはり痛感したのが戦後の「個人主義」でした。
これがどんどん突き進んでいった結果、核家族化と少子化という現実が生み出されていった。
かつての大家族の持っていた長所は失われていった(短所もむろんありますが)。
若い親は子育てを上の世代から学べない。
長く生きているからこそ得られる知恵も伝授されない。
お父ちゃんたちは経済活動に懸命で、子育てなど妻に全面的に任せて放置した(あくまでも全般的傾向)。
こうして現代が生み出されました。
家族はどうなっている?
子が親を、親が子を殺す時代です。
そんな陰惨な出来事は、ごく一部に過ぎないはずですが、逆に氷山の一角ということも言い得るでしょう。
うちの娘が長年思い込んでいたことが、現実は違うと知った――「夫婦は仲がいいものだと思っていたが、だいたい普通はそうではないんだ」という感想。
そんな世の中の現実。
原因は様々で、核家族化が進んだから、大家族ではなくなったからこのようになったとは言い切れませんが、控えめに言っても無関係ではないと思います。
私は「デウス・エクス・マキーナ」の中で、だからこそ個人が強くなれということを訴えているのですが、それは実はとても寂しい道でもあるのです。
本当は人は、愛に満たされて、共に生きたい。
しかし、今はとても理想からは遠い。
そんな中でインビジブル・ファミリーのような形態であっても、3世代のつながりが結べるスタイルができつつあるのなら、それもまた良かろうというのが、私の考えです。
最悪より次悪のほうがいい、最良になれなくとも次善くらいに届くとっかかりになるかも知れない。
そうやって3世代がふれあううちに、愛がより大きなものになるかも知れません。
たとえ形が優先されても、後から中身がついてくるということもあると思うのです。
たとえば見合い結婚は、最初はお互いの間に愛はなく、どちらかというと結婚したいとか、条件とか、そういったものが優先されています。
しかし、それで幸福になる夫婦、ちゃんと愛情を育てられる夫婦もいます。
できちゃった結婚というのは、あまり感心はしない部分もありますが、欲望優先で結果的に夫婦関係になった二人でも、同様にうまくいく場合もあります。
ちぃさんの家はご両親を含めて家族愛に満ちていて、きわめて健全にお育ちになったものと、ブログを読んで推察します。またご主人も非常に素晴らしい方。
だからこそ、不純な要素が家族の間に持ち込まれるのは許し難く感じられるのは当然と思います。
しかし、打算のまったく存在しない家族関係もないのではないでしょうか。
希には存在するかも知れませんが。
たとえ経済的事情や若い夫婦の都合が背景にあるとしても、そうやって親御さんと隣居する理由が、打算だけであるとはなかなか思えません。
孫がそばにいて、いつでも会えるのだとしたら喜ぶだろうとか、高齢になってきて不安もあるだろうから、そばにいてやったら安心するだろうとか、そういう普通の感情もあると思うのです。
100%打算なら、それは正直、ヒメヒコさんの指摘したとおりの結果になるでしょう。
しかし、少なくとも隣居しようというのですから、親御さんのことを嫌いなわけはない。
100%打算で動けるというのは、すでに愛情など親御さんに抱いていないということですから、そもそも隣居する可能性も非常に低いはず。
ならば、インビジブル・ファミリーを今後の家族関係の回復(全体的な)のとっかかりとして歓迎しても良いのではないかというのが、私の考えです。
あと、もう一つ申し上げておきたいのは、子育てにもっとも適しているのは祖父母の世代だという考えです。
これは私だけのオリジナルではないのですが、「子供はみな人類の宝」という観点に立てば、自分の子供同様に他の子供も愛するというのが、人類の種としての究極的なありようかなと、思います。
つまり子育ては、地域など大きなコミュニティー全体で行うようになるのが、理想的な姿と考えます。
またその任に当たるのは、やはり人間的に成熟した世代がもっとも適役です。
学校でも経験値の浅い新任教師に担任がなかなか務まらないのと同じで、経験値豊富な先生の方がやはりうまくやれるものです。
しかし、そこにはとうてい到達できません。
現状で、私たちのまわりにいるのは、やはり若い夫婦の親御さん(祖父母)なのです。
そして現状、この世の中では、その子供の親がもっとも責任をとるべき存在であり、もっとも努力をしなければならないのは、いうまでもありません。
私も自分の親にその辺を押しつけたつもりはありませんし、子供たちには自分ができることを、頑張ってやって来たつもりではいます。
とはいえ、親に甘えていた部分も、実際にあります。
私たち夫婦が親と同居するようになったのは、10年前に父が仕事中に倒れ、健康面で大きな不安が出てきたときに、支えになってやろうという考えからだったのですが、その後、様々な局面であてにし続けた部分もあり、それを指摘されると辛いものはあります。
そのツケを今、払っているのかも知れません。