7今日(6日のこと)は珍しく、早めに仕事を上がれました。
そのおかげで、ニュース番組など見ることができました。
普段、深夜に帰宅する私にとって、その時刻のTVというのは、正直、げんなりしてしまうものが多いのです。
とってもくだらないものが多く、見ていても得るものがない……。
もちろん個人的感想で、私がTV番組の中で一番好きなのはニュースだという理由によるものです。
大多数を占める一般的な勤め人がもうお休みになっている時間帯のTVが、お手軽に作られたものになるのは仕方ないかも知れませんが、せめてニュース番組は深夜枠でもちゃんとしたのを作って欲しいと願います。
ともあれ今日は、そんな事情でニュース番組を見ることができ、その中でインビジブル・ファミリーという言葉をはじめて耳にしました。invsible=「目に見えない、隠れた」という意味です。
つまり一見家族ではないが、あるときには家族構成を結ぶ、そんな家族関係。
核家族ということが言われて久しいですが、自由主義、個人主義が進んだ日本で、この頃になってようやくそうした家族傾向に変化が生じしてきたというのです。
子供のできた若い世代の夫婦が親御さん家族と、同居までしなくても隣居、近隣居するケースのことを指していうようです。
いい例が我が家で、まさにある時期まではインビジブル・ファミリーだったのです(現在は完全同居)。
長女が誕生し、岡山市に住んでいた私たち夫婦は、よく子供を連れて倉敷市の私の実家に戻っていたのです。
現役を引退した私の親に子供の面倒を見てもらい、私たちはお互いの仕事をしていたり…というような形をとっていた時期がありました。
今、親御さんと近いところに居を構え、子育てに協力してもらったり知恵を借りたり、またその経済力に頼ったりという形をとる夫婦が増えているそうです。
親御さんにしても、介護の必要が生じたときなど、あてにできる子供夫婦がいれば、それは心強いもの。
こうした現象の背景にあるのは、どうやら経済的な問題でもあるようで、結局、収入がまだ少ない子世代夫婦が親を当てにしているという実態もあるようですし、たぶん子世代夫婦が自分たちの時間を作るために助けを得ようという魂胆もあるようですが、よくよく考えれば、いつの時代も親子は助け合ってきたはず。別段、悪いことではない。
個人主義が進み、核家族化が進んだ先に、とうとう揺り戻しが起きてきているようです。
これはいいことに思えます(こういう実態を知らなかった私は、三世代のつながりが戻ることなど、昨年の段階ではまったく考えていませんでした)。
実際、子育てに最適な人材は誰かといわれたら、経験者です。
すでに一度経験していて、精神的にも生活的に追われることのない世代。
つまり、おじいちゃんおばあちゃん。
若い夫婦みたいに自分の都合で、簡単に子供を怒鳴ったり折檻したりしない、そういう人たち。
この人たちほど、子育てに適した人材はいません。
しかも、孫ということになれば、愛情も深いはず。
だから今、二世代住宅や、同じマンションに別部屋同棟で住むケースなどが増えているようです。そんな商品も多いとか。
実際、子育ては大変です。
でも、自分たちの時間も欲しい。だから親に預けて、自分たちは映画を見に行くとか、そんなライフ・スタイルが、結局、経済上の理由や自分たちの都合から生まれてきている。
これは伝統的日本文化は背景にあるかも知れませんが、新しい流れです。
私は四世代が同居生活する家で育ちました。自分たち、親、祖父母、曾祖父母。
それは決して悪いものではありません。
自分にとっては非常に良かったと思っています。
ただzephyr家には、独特の性格的な血統があるようで、私は複雑な人間になっていますが、しかし、どんなときも家族がそばにいたことは間違いありません。
インビジブル・ファミリーは自分たちの独自性も保ちたい、干渉をあまりされたくないが、親御さんからの有益なものも受けたい子世代夫婦と、子や孫の顔を見ていたい、時間の余裕のできた裕福な親御さん夫婦の妥協の結果、生まれた新しい家族形式なのかも知れません。
それはそれで良い。
でも、だからこそ言いたいのは、お互いの親御さんを尊重して下さいということです。
なんといっても、その親なくしてあなたが結婚する(した)お相手はいなかったのですから。
それだけでも十分、感謝に値します。
お互いの親御さんに愛と感謝を。
妻、あるいは夫が自分の親を大切に思ってくれる。
そういうことが分かれば、それはさらに夫婦愛を深めるものになるでしょう。