今日は大学の講義だった。
そして、「デウス・エクス・マキーナ」に関する論考を終了した。
次回は再来週の22日。来週は月曜日の振り替え講義日なので、火曜日の私の講義はない。
最終日は、普通は試験だが、私は試験をしないので、生徒の提出したプリントで評価する。プリントは5~6回は配布しているので、生徒数のこれをチェックするのは骨だ。
しかし、一回こっきりのテストで評価せず、出席を重視し、そのためにプリントを数次にわたって配布することを決めたのは自分だから、しっかりとやらねば。
ボランティア・プロフェッサーになって二年目。
昨年よりは多少はうまくやれたろうか。
少なくとも今年は専用のテキストを持って講義に当たれたので、ずいぶんと楽だった。その分、講義の本文に沿った内容になったはずだと思うが……。
やはり未熟なのだろう、まだまだ。
先月、生徒の授業評価アンケートが実施された。
その中には、「期待はずれだった」という項目にチェックを入れ、講義内容や私への評価もすべて最低にチェックしているものがあった。
もちろん、例外的なものだ。すべてが最低であるわけはないし、かなり悪意を持って意図的に書き込まれたものとは分かる。
大半の生徒の評価は普通か、良い方になっていた。
その生徒が私の講義になにを期待していたのか? 安直に単位が取れる優しい先生を期待していたのか? もっとも面白い講義内容を期待していたのか?
私の講義は真面目に出席している生徒には、単位など簡単に取れるようになっている。
そういう生徒は、だいたい講義も真面目に聴いている。
出席重視で、講義で配るプリントをその都度書いて出すことが重要だとも再三述べてきた。
なので、多少は意地悪なこともやってきている。
たとえば用意したプリントを最初に配らず、「なにもないな」と思ったら途中で講義を抜け出すような生徒がいなくなった後で、プリントを配布するということもやってきている。
そういうのが気に入らない生徒もいて当然だろう。
しかし、皆勤で出席し、いつも真面目に講義を聴いてくれている生徒もいる。
抜け出さないが、眠気を堪え、頑張って席に座っている生徒もいる。
眠ってしまっている生徒もいる。
これらは明確に評価を分けなければいけない。
そうでなければ、真面目に講義を聴いている生徒に申し訳がない。
一つの製品でさえ、それを使って満足するユーザーは半分もいればいいほうだ。
私がする講義内容も、それを聞いて面白いと感じる生徒はわずかかもしれない。
万人に受ける小説はない。
万人に喜ばれる物語もない。
幸福な物語も、ひがんだ人間が読めば、いやみったらしい自慢話に思えるかも知れない。
悲しい物語も、縁のない人間にはうどんに入れる七味唐辛子みたいに、単なるスパイスでしかないかも知れない。
それは重々分かって、この半期の講義をやって来た。
が、やはり力不足を痛感する。
「お話の内容がすごく面白い」
韓国からの女子学生が言ってくれたことがある。
「ありがとうございました」
今日の講義を終え、声をかけてくれた学生がいる。
私は毎回、からず講義の最初に「皆さん、こんにちは」と呼びかける。それに「こんにちは」と返してくれた学生がいる。
私の視線を受け止め、話す内容にうなずきながら聴いてくれた学生がいる。
彼らに感謝しよう。
君たちの御蔭で、私はまたステップを上がることができる。
来年はさらに良い講義を。
22日は、おまけ講義日。
テーマは「真(まこと)の花――乱歩・正史・清張、そして…」
後期最後の授業だ。