次なる本格ミステリー |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「ノー・ソリューション」が刊行され、その後、多方面からの批評を寄せられたが、WEBで解決を確認するという、謎解きを物語の中で行わないスタイルの小説が、今後も生み出し得るのか、生み出す価値があるのか、わからない。
こういった作品の評価を短日時に下すことはできないのだろう。
なにしろ、まったく新しい形式なのだから。
大手の出版社から出していれば、このあたりの反応もずいぶん違った可能性はある。
しかし、個人的には「ノー・ソリューション」が一つの自信につながったことだけは間違いない。

私の知るかぎり、多くの方が「消滅した夜」「オルフェウスのダンジョン」「うつし世は悪夢」という、初級・中級・上級編の、中級(オルフェウス)の部分ですでに躓かれておられる。
ただ難解であることが小説として喜ばれることではないのは重々承知している。
あまりにも難しければ、読者のほうで興ざめしてしまう可能性だってある。
この辺はじつに難しいし、正直、正確なさじ加減などわからない。
かと思えば、MORO.Sさんのように非常に優れた読み手の方もいらっしゃって、おおよそ解き明かしてしまっている事例を目にすると、やはり手を抜くことなどできないと考えたりもする。
「オルフェウス」や「うつし世」程度で満足しているようは、ミステリー・ファンからは鼻で笑われてしまうだろうとも思う。

とりあえず本格ものでも、オーソドックスなスタイルの作品(WEBで解答などという形式ではない)を書き上げることは、自分自身にとって急務であるように思える。それが出版という成果に結びつこうがつくまいが。
私が個人的に得た自信は、普通の読者ではなかなか読み解くことのできないものが書けたというような、単純なものではない。
そうではなく、もっと質的なものだ。
具体的に言うと、数学的に答えが出る「オルフェウス」ではなく、「うつし世」を執筆した過程で得た、一つの感触だ(「うつし世」は過去の作品のストレートな収録ではなく、完全なリライトで、まったく新しい作品になったのに等しい加筆を行っている)。

私は後で「うつし世」には、推理する過程で読者が迷い込む隙間があると書いたことがある。
そのときは、隙間のない小説を今度は書いてみたいと思ったが、実際はミステリーとミステリーとして面白くしているのは、他ならぬその「隙間」ではないかと、最近思うようになった。
これが魅力的な隙間であればあるほど、読者はそこへどんどん入り込んでいき、出口を見つけられなくなる。
これは半ば偶然のように私の手元に降ってきた成果だった。

今後、自分が本格ミステリーを書いていく際には、このテクニックが非常に重要になってくるように思える。ミステリーの新しい謎の創造は、難しくなる一方だからだ。
本格ミステリーとして次に書く候補も、すでにいくつかある。
そのときにはこのテクニックを十二分に生かしたものを作り上げたい。