「デウス・エクス・マキーナ」を使い、大学の方は順調に後期の講義が進んでいる。
昨年は専用テキストがなかったため、非常に苦労した覚えがある。
昨年、多忙な中、時間をやりくりして、無理矢理にでもこのテキストの草稿をまとめていたおかげで、後期にはテキストが間に合った。本当に良かった。
大学の講義に使用できるミステリー論考の著作というものは、私はお目にかかったことがない。が、単なる不勉強かもしれない。もし、いいものがあれば教えて頂きたい。
一度は、島田荘司先生の「本格ミステリー宣言」などもテキストに使用しようかと思ったが、適切なのは一部だけで、他の部分は対談やエッセイで構成されているため、半期の大学の授業には不適切だった(もっとも大いに参考にさせて頂きました)。
「デウス・エクス・マキーナ」は堅苦しい文学論にならないよう、活字離れの進んだ若者たちにも読みやすく、心を砕いて書いた。
結果、大学の講義の最中にも結構真面目に読んでいる子がいて、興味深い。
彼らにとっては「デウス・エクス・マキーナ」は必要上読まなければならない本にすぎないのだが、それでも読むに耐える本になっているらしい。
ひょっとすると彼らはたんに本の面白さを今まで知らずに来ただけなのかもしれない。
こういうきっかけがあり、そのとき手にしている本がある程度面白ければ、もしかすると彼らも本の良さに目覚めてくれるかもしれない。
そんな一助になれば嬉しい。
私は講義でもテキストを読み上げることをメインに置いた講義はしていない。
むしろほとんど読まずに進め(もちろん、テキストには沿っている内容)、強調したいところ、記憶させたいところなどでテキストの一文を読み上げるようにしている。
生徒からの意見や感想は、できるだけプリントに書かせるようにして、次の講義に反映させるようにしている。
「質問はないか」といっても、最近の学生はおとなしくて発言はほとんど期待できないからだ。もちろん、一応、聞きますが。
「話の内容がすごく面白い」と、先日は韓国からの女子学生がいってくれた。
話し甲斐もあるというもの。
今はミステリー以前、文学の発祥のあたりをやっている。
人類の歴史をひもときながら、いかにして物語が誕生し、語られるようになったか、そして文学へと昇華していったか、そしてそれぞれの物語にはどのような意味があり、語られていたのか、そんなことに思いを馳せるとき、人はそれぞれに必ず得るものがある。
なぜなら物語は「鏡」だからだ。
「デウス・エクス・マキーナ」をこの夏、書き上げたことのご褒美は、実は私自身の胸の中にある。
私は同名の小説を書く計画がある。
できるだけ早く取りかかりたいが、まだ構想段階。
それにその前にやっつけなければならない仕事もある。
時間と共に私には創作上、絶対に必要とするものがある。
それは情熱(パトス)だ。
それが湧出する以前に手をつけてしまったら、失敗しやすいように思う。
クロノスとパトスに祈ろう。
そのときが早からんことを。
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