生まれ変わり 生命のプロセス |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

最近、占いで会う人にはほとんど伝えている情報がある。
それは夜想の会でも紹介させて頂いた「生きがいの創造」(飯田史彦著)にある、「生まれ変わり」に関する情報だ。
欧米では科学的な手法(退行催眠と臨死体験研究)で、人間の死後のことがわかってきている。
この事実への理解は、真に人間に大きな価値観の変動を起こす力を持っている。

前にも書いたことがあるのだけれど、もう一度要約すると、
1.退行催眠によって深い催眠状態に落ちると、人間は誰でも過去世の記憶を蘇らせることができる。たとえそれが人間は死ねば無になると思っている唯物主義の人間でも。すでに何万件もの事例報告があり、前世の裏付けが取れている例すらある。
2.前世と今生の間、中間生(つまり俗に言うあの世)の記憶を蘇らせる人もいる。そこで人の魂は、前世で学んだことを踏まえ、次の人生はどのような人間に生まれ、どのような生き方をするか計画を立てる。親を選択するのも自分で、どのようなひどい親の元に生まれる場合でも、本人はそれを納得している。
3.人間は死後、まず自分の人生を追体験する。しかし、これはよく「走馬燈のように自分の人生が頭をよぎった……」とかいうものとは違っており、自分が何かをした、何かを言った相手の立場でそれを回想する。つまりいじめた相手がいれば、そのいじめられた相手の悲しみや辛さを自分のものとして味わいながら思い返すことになる。
4.死後の世界では、人間は皆、愛であり光である。ゆえに「3」の回想を行っているとき、自分の人生を振り返り、嘆き、悔やまない魂はいない。どんな極悪人も、そのときには愛になっているからである。
5.死後、魂に問われるのは「愛したかどうか」だけである(自分自身も他人も)。社会的成功や、そのためにした努力なども、いっさいがゼロ、無価値である。人間が生まれてくる理由は、自分が愛であることをこの世で実証し、体感する以外、何もない。
6.中間生は思うことが即実現する世界で、すべてが愛であり光である。ゆえに魂は、わざわざ思い通りにならないこの世というものに生まれてきて、その環境の中で自分が愛であることを再確認する。

などといった情報である。
これを必要としない人間もこの世にはいる。ありがたいことに、くゆるなどは、否定も肯定もしないが、どうであろうが自分の人生を精一杯生き抜ければよいと、非常に潔く考えられるタイプの人間である。
こういう人間がいないと、世の中、偏ってしまう。

しかし、占いで私に会おうとする人は、多くの場合、悩みを抱えている。
非常にせっぱ詰まっていて、精神的に、肉体的に、あるいは経済的に、切実な苦悩の中にいて、なんとか光を見つけたいと思っている人も多いのだ。
そういう人たちにとって、飯田先生の報告がどれだけ励みになり、力になるか、計り知れないものがある。

たとえば「2」の項目の、どんな人間に生まれ、どんな人生を歩むか、計画しているという部分。
これはこの世に起きることには、無意味なことなど一つもなく、しかも失敗など存在しないのだということを意味している。
たとえば非常に暗い、マイナス思考の性格を持っているとしよう。しかし、それはその人の魂が、今回はそれを望んで選択しているからそうなのであって、決して「悪」ではないのだ。そのような性格に生まれつかなければ味わえない人生の体験をしようと思っているからこその選択なのだ。
また何度も離婚した、とか、受験や就職で思うようなところに行けなかった、リストラされた、などという世間で言うところのいわゆる「失敗」も、じつは失敗ではなく、そうした経験の中でしか得られない苦悩や、またそこでより良い選択、自分を創造的に生かそうとする努力ができるかどうかというのが問題、課題なのだ。
だからといって、虐待され続けること、迫害され続けることすら、自分が選んだのだからそのままで良いというわけではなく、そうした苦境の中から自分を大切にすることを学び、断固としてその状態から脱することも重要な学びなのだ。

「2」と「5」から言えるのは、人間がこの世で生きている間に試されているのは、「愛」だけであり、ほかには本質的には何もないことになる。
今回の人生が、一見、世間的な失敗だらけだとしても、それはそれで順調なのだ。
貴重な体験なのだということである。
そして、チャンスはいくらでもあるのだ。

社会的に成功する人生もあるだろうし、愛に恵まれた人生を送ることもあるだろう。
世間的な成功ばかりだった過去も、今までに実はさんざん経験してきていたのかもしれない。
王の人生もあれば奴隷の人生もある。
今回の人生が、生命の大きなプロセスの一部なのだということを理解すれば、おのずとこの人生の生き方も変わってくる。
せっかく生まれてきているんだから、どんなに苦しくても、この課題をクリアしてやろうとか、生きている間に思う存分、この世でしか体験できないことを体験してやろうとか。

そういう価値観の転換が、苦悩の中にある人にどれほど大きな福音となるか。
私はこの情報を伝えることで、すでにたくさんの人が勇気と希望を、これまでとはまったく違った観点で得たのを、この目で見てきた。
これからもたぶんより多くの人に伝えていくだろう。