運命を変える力・2 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

人が意志と選択で、この世に生まれてくるという可能性について、もう少し補足しておこうと思う。


「好きで生まれたわけじゃない」とかいう言葉がある。

たいていは子供が親に向かって吐く一種の抗議、文句の意味合いが強い。

背景には、無知がある、と私は思う。

生まれてきた子供が何らかの理由で不幸な境遇にあるとき(物質的か精神的か)、その子はこの世に自分が存在することを呪うようになる場合がある。

あるいは生きていることの意味を全く見いだせないとき、ただそれだけの理由で自分を生み出した親に八つ当たりしたくなることもある。


なぜ自分を生んだ? 結局は自分たちの快楽の結果、たまたま私という子供ができてしまっただけだろう。

知恵のついた子供ならそういう理屈をつけることもする。


気持ちの上ではわかる。

だが、それはおそらく違うと私は思う。

占い師として多くの人の運命を見た自分には、親と子には明確なラインが通っているのが見える。

「運命を変える力」で述べた離婚した親と、その子供(家庭運が悪い)の間の運勢には、完全な符合が見られる。この親にしてこの子、というはっきりした凸と凹が組み合わされる関係が存在している。


これはほかのいくつもの例が挙げられる。

たとえばプロスポーツの選手になった子がいる。もちろん占星術的にはその子の火星(スポーツ)は素晴らしい状態にあって、力が発揮されるのを今か今かと待っているような運勢で生まれている。

これは生まれついてのものだ。

しかし、こういう子は成長過程のどこかでスポーツに縁のある環境に、かならず出会う。

かならず、である。


たとえば父が野球が大好きだった。だから我が子にも野球を教え込んだ。

家庭がそうでなくても、近所に野球選手が住んでいて、その姿に大きなあこがれを抱くようになった、とか。

あるいはたまたま進学した高校で、友達に誘われて野球部に入ったら、そこで素晴らしい監督に出会い、才能が開花した、とか。


出会いは大きい。

人間の人生でもっとも不思議で霊妙なものは「出会い」だと思う。

その最初の「出会い」、それこそが生まれ、家族との出会いだと思う。


西武の松阪大輔がそうであると聞いたことがあるが、やはり父親から野球を教え込まれた。

スポーツの才能がある子が、スポーツ大好きな親の家庭に生まれる。

これは占星術的にも多く見られる事例で、きわめて自然なことなのだ。


遺伝的にも親の特質、才能が子供に受け継がれることはあるようだ。

なら、特定の才能を持つ親の元に、類似した才能を持つ子供が生まれるのも自然である。


スポーツの才能を持つ子が、なぜスポーツ大好きな親の元に生まれるのか(かならずしもではない。あくまでもそういう例が多く見られるし、親でなくとも環境の中にスポーツにはまりやすい条件があることが多いということ)。

これは本人が環境を選んで生まれてきているとしか思えない。

親、あるいは兄弟、親戚、地域。


場合によってはあえて逆境を選択する場合もあるようだ。

たとえば何か特定の才能、歌とか芸術とか、そういったものに才能があるのに、親に反対されるとか。

かならずしも物事はスムーズには運ばない。


しかし占星術の法則の一つに、「本人に意識されず、使われもしない星の力は、現実的な物事や人物となってその人の前に現れる」というのがある。

つまりスポーツの才能があるのに、家庭がそういう環境でなく、身近にもそのようなものにつながりが生じにくい場合、そのスポーツの星の力(多くは火星の力)は、力の出所を求めて、本人には蓋をされているので、本人の身近なところに別な形で出現する。

出会う人、出会う書物、地域の誰か、あるいはTVの中のスタープレイヤー(そのプレイを見せて本人を感動させることで動かそうとする)などといった形で。


つまり注意深く日常を見ていれば、あなたが本来進むべき道、あなたという魂が求めているものがなんなのか、じつはわかるはずなのです。

あなたがその力を使っていないとき、星の精霊がそれをあなたの前にちらちら見せているはず。

いや、もっと露骨に見せているかも。


あなたが感動したものは何でしょう。

心動かされ、こんな人間になりたい! こんな人になりたい! と純粋に思ったとき、それはどんなときでした?


それがおそらくあなたの魂が求めているものです。