先日、知人の女性の引越祝いの席にお邪魔させてもらった。
彼女は家内の友人で、職場の同僚なのだが、当然のことながらそこには職場の女友達というのか、お仲間が複数いた。
話の成り行きで、彼女たちの星、運勢を鑑定することになったのだが、この結果が見事なくらい、ある一点で共通していた。
「男縁がない」
という、一点である。
異性運というのか、男運というのか、恋愛運といってもいいのだが、みんな、見事なくらいそれがない。
それは一体どういうところで見るのかというと、四柱推命で言えば、正官・偏官という二つの官星のうちどちらかが、四柱のどこかに健全な状態で存在すると言うことである。
健全な状態であれば、一個でいい。二つも三つもあったら、複雑な異性関係、男出入りの激しさとなってくる。
西洋占星術で言えば、火星と金星、もしくは太陽と月の間に相互関連がないなどの現象である。
その時、その場にいた四人の女性には、見事に官星がなかった。ちなみに私の家内も含めてである。
家内は私と結婚しているくらいだから、異性運がないと結婚できないと言うことではないのだが、本人曰く、私とでなかったら結婚は難しかったかもしれないとのこと。
ほかの女性達も、お年頃を超えつつある女性が二人ほどいて、やはり運気に示されていることは馬鹿にできないと痛感した。
が、それ以上に不思議に思ったのは、そんな女性が一つの職場に集まっているということである。
これはたぶん類友の法則であろう。
なぜかそういう人達が引き寄せられて集まる、何らかの原因があると思われるし、またそういう集まりが一度形成されると、似た運気の人間を呼ぶと言うことが、どうもあるようである。
少なくともこの符合は、すでに偶然の域を超えていると思う。
とすれば、自分というものを知りたければ、周りの人間を見ればいいことになる。
そこに存在する人間は、おそらく自分のある一部を確実に備えている。
誰か、おつきあいをしようとする人間が現れた時、判断に迷うことがあれば、その人の友達を見てもいい。その友達は、やはりその当人を幾分か語ることになるだろうから。