小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?

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私の卒業した小学校は明治七年創立。大阪大学区第七番小学校。
 
村立で私の曽祖父はそこの代用教員もしていました。
 
前の東京オリンピックのあった昭和39年は創立90周年で
 
  キリのいい創立百年の10年前なのに創立90周年の祝賀行事がありました。
 
いまから思えば、当時の校長のスタンドプレーというか
 
  中央に向けてのアピールだったのかな。
 
小学校5,6年生で教科別担任制の実験が行われていました。
 
文部省が指定した実験校ではなく大阪府が指定した実験研究校でした。
 
そういう指定を受けるためのアピールだったのかなと。
 
今では考えられませんが私が卒業するころには全校、
 
  六学年の総児童数が二千人を超えていました。
 
それで校区を5つに分けてそれぞれに小学校を。
 
少子化のため各校とも6学年合わせて10クラスに満たない年度もあるようです。
 
でも、再統合の話は出ていません。
 
 
話を戻して90周年記念行事。
 
大阪国際空港には国際線も乗り入れていましたが、
 
  空の旅なんて田舎の小学校には夢のまた夢の時代。
 
その90周年記念行事の一番の目玉はというと
 
 大阪国際空港から飛来したヘリコプターからの花束の投下。
 
児童全員が狭い校庭の周囲に整列してヘリコプターが来るのを待ちました。
 
低空で飛来したヘリから
 
 校庭に石灰で書いた二重丸(三重丸だったかも)にめがけて
 
 右席から花束が投下されました。
 
小学校の思い出というとこれが一番。