(独立まであと171日)
毎週日曜日に独立会議。ということをはじめて早11週目に到達しました。
独立会議。
と、呼ぶからにはメンバーがいるのであって、今日はそのメンバーの話。
実を言うと、事の発端(発起人?)は私ではないのです。
私はどちらかというと誘われた方の人間です。
ですが、偶然にも時を同じくして、私は例え独りであっても絶対に自分で事業を起こさなければならないことを決心しておりました。(漠然とですけれど。)
なんでしょうか、一歩を踏み出すことの欲求が急激に高まる時期があるのです。
それは、正直に吐露しますと現状の不満もあるし、
自分の将来の可能性を捨てきれないということもあるし、
それに、今一歩を踏み出して失敗したとしても、たいしたことないじゃないか、と強気になってしまう時がありますし...(その反動がまた大きいのですけれど。)
「俺はまだ飛び込み台にものぼっていないんだ。飛び込んでから自分が泳げるか、思い切り腹を水面にぶつけて溺れるのかも判っていないんだよ。
人生は一回きりなんだから、飛び込まないまま終わるのは嫌だ。」と。
友人の前で、熱弁を振るっていたようです。(おそらく、自分自身に言い聞かせています。)
一週間後、友人から電話で一言。
「昨日、辞めることを伝えてきたよ」...。
おお友よ。私が焚き付けに一役買えたのならば幸せだよ。
彼を仮に「芸津」と呼ぶことにしましょう。
(由来はもちろん、ストレートにビル・ゲイツをもじって。直球すぎるか...)
芸津と私は、高専時代からの仲です。
いまから8年前。
高専4年生となった私は、土木工学科卒として建築業へ就職するか、それとも絵描きとして食べていくのかをやんわりと考え始めていました。
高専(工業高等専門学校)の5年間。私は寮生活をしておりましたが、寮生活での娯楽はもっぱら同じ寮生との「会話」だったのです。
4年目ともなると、会話の内容は熱く、濃く、重たいものになり、将来の不安は皆の格好のテーマになっていたのだと思います。
そんなある日、芸津はいきなり私の部屋を訪れ、近い将来起こりうるIT革命について熱く語ったのを覚えています。(同じ寮生とはいえ、科が違ったのでそんなに面識はありませんでした。)
ちなみに、その頃の私の主な道具は、鉛筆とスケッチブックです。
windowsはおろか、PCで絵を表現するなんて、なんとなくエネルギーが殺がれるものだと決め付け、
「宇宙語を操る奴等のもんだろう?」と思っておりました。
「インターネットというものは、今後どんどん世界に浸透する。
いまは、何もない荒野を開拓するようなもんなんだ。」
「じゃあ、ネット界の不動産屋さんなんかどう?」
お恥ずかしいことですが、堀江社長や藤田社長など、名だたる先輩方はもうすでに実際にビジネスとしてまさに走り出されている時期の話です。
それでも、北海道の原生林生い茂る片田舎の刑務所のような一室の中で、精一杯の「最新未来予想図」を描くことは、かなり刺激的だったのでした。
(電話回線も公衆電話(3台)のみ。そこで、メールをやりとりしていた芸津は、かなりの先駆者だったといえるでしょう。カベの中では...??)
ともかく、芸津はそれ以来、常に私にとっての「IT伝道者」でありました。
私がPCを買う。Photoshopを知る。映像を創る。ネットを繋げる...
彼は情報工学科、まさしくIT界に旅立つことは約束されているような男でした。
私は土木工学科。よくぞ、こんな男を引きずり込んだものです。
そして今、彼は今も尚成長するITベンチャー企業で管理側の立場にあり、
それがつい先日「辞めるよ」と言ったわけです。
私は、「ついていくよ。」「のっかるよ。」という返事はしてはいけないと思いました。
それは、互いに期待している答えではないからです。
「起業するの?だったら俺雇ってよ!」という、周囲からの優しいエール(?)を受ける機会は多いですね。
ありがたいのです。悲観してもらっていないだけでも。
でも本心ではどうでしょうか。
私は「共に苦しみを乗り越えるよ。」という戦友を求めていたのです。
だから、芸津から話を聞いたとき、私は覚悟を決めました。
私は、このブログで一番何を伝えたかったのだろうかというと、いまもって揺れ動く私の気持ちそのものを綴りたいと思いました。
独立についての発端を辿ると、そこにノスタルジックな情景が浮かんできてしまいました。
8年ていろいろあるんですね!