末吉宮:沖縄県那覇市首里末吉町1丁目8


数は少ないが沖縄にも神社がある。琉球八社(波上宮、沖宮、普天間宮、末吉宮、識名宮、天久宮、安里八幡宮、金武宮)がよく知られており、参詣者も多い。各社の創建は14世紀末から16世紀と推定され、中世に隆盛した熊野信仰の影響があるようだ。安里八幡宮を除く七社は、すべて熊野三神を祀っている。


沖縄と熊野信仰は関係が深い。さきがけとなったのは補陀落渡海である。補陀落渡海とは、補陀落山(インドの南海岸にある山で観世音菩薩が住むとされる)への往生を願い、外から釘を打ちつけて密閉した屋形舟に食糧を積んで単身渡海するもので、入定或いは捨身行といえる。那智の浜からは二十人の僧が渡海したという記録が残っており、那智参詣曼荼羅にも渡海僧を送り出す人々の様子が描かれている。(補陀落山寺にはこの舟を再現したものがある)。




宮家準氏は「沖縄における仏教の伝播と受容」という小論の中で以下のように述べている。


沖縄への仏教伝播は中山永祖王の時(1265年頃)浦添に補陀落山極楽寺を作った補陀落僧禅鑑の渡来にはじまる。その後十四世紀中山察度王の時、真言僧額重が渡琉し、波の上に護国寺を開いた。さらに十五世紀に渡来した臨済宗の芥隠は、尚泰久、尚真王などの帰依を受け、円覚寺を始め数多くの寺院を建立した。一方、1522年補陀落渡海を志した真言僧日秀が漂着し、金武観音寺、波上権現、浦添の経塚などをつくっている 。また十五世紀から十六世紀にかけては、真言系の寺院や琉球八社が相ついで建立された。(出典*1)


末吉宮は那覇中心部から5kmほど、住宅地に囲まれた末吉公園の北側にある。南側は整備された緑地だが、北側は段丘となっており、亜熱帯の樹叢と琉球石灰岩の奇景はジャングルさながらだ。ここは心霊スポットとしても有名らしく、さまざまな怪談も伝わっている。




北側の大名口参道から末吉宮に向かった。地図で確認すると100m程度の場所だ。晩夏の長閑な午後、閑静な高台の住宅街は静まり返っている。住宅と空地の間に標識と由緒を書いた案内板が立っている。ここが入口だ。少し行くと鳥居、その先は鬱蒼とした森の中である。鳥居をくぐると正面の案内板にこんなことが書かれていた。


参拝者へのお願い

一.  ここは神聖な上位の神御座(神域)です。霊行事は、国ぬ主の神御座で打ち紙(ウチカビ)を用い、宇天みるく神にお願いして下さい。線香と打ち紙を用いた霊・グソー(後生)に関する行事は、その担当の神の居られる、他の紙御座でやって下さい。依然、家事が発生した事があり、また附近の民家まで煙が届き、迷惑したことがありました。消防署から消火に来て、火の元について、厳重に注意されています。自然神域保存会



なにやら怪しげな感じがする。左手を見ると「子ぬ方入口」と記された石標が立っていた。面白そうなので末吉宮への参拝は後にしてそのまま進むことにする。少し行くと道を回り込んだところに拝所があった。石碑が三基立つ。古いものではなく、建てられて三十年余りだろうか。中央の石碑には「聖地国の主」として、国ぬ主(願立の総取下げ・国の栄えるを司る)御先天孫子(人類の祖神)宇天みるく神(裕福を司る)宇天美女呂神(水子供養)宇天不動明王(神を守護する)宇天天の川母神(自然司祭身心浄化)獅子神(悪風除け動物供養)とある。この拝所の左には宇天火ぬ神、右には御神歌が刻まれた石碑が立っている。宇天とは宇宙とか天界を指すのだろうか。みるく(弥勒。八重山のニライカナイ信仰と習合した来訪神)や、不動明王にも「宇天」と冠されている。




少し行くとまた拝所がある。ここには宇天親加那志、子ぬ方軸ぬ神加那志、宇天十二神が祀られ、脇に黄金軸なる石標。さらに道を進み、二基の亀甲墓を過ぎた先、道から分かれて左手に石段が続く場所がある。上ってみるとここも宇天だ。最高拝所「宇天軸」とあり、香炉が置かれている。



道は続く。今度は「宇天軸底神弥勒御水」(うてんじくすくしんみるくうびい)なる水神を祀った拝所。石板には沖縄御先七御水神なる場所が示され、ここ宇天軸御水に結ぶと記されている。目を凝らしてみるとあちこちの岩陰にも香炉が据えてある。一帯は一大拝所空間なのだった。どうやら天界と下界を結ぶ場所とされているらしいが、そのシャーマニックなありようは伏見稲荷山のお塚群や津軽の赤倉霊場を思わせる。




この信仰の基になるものを探してみた。末吉宮の由緒には「宇天」という言葉は見当たらないが、琉球の史書やおもろそうしなどには天に関する記述は多数ある。子ぬ方の拝所群は、オボツ(天上)・カグラ(神座)に類する琉球の基層信仰の残像なのかもしれない。この拝所群で示されている宇宙観は、どこか幕末から近代に興った新宗教に似ている。


ついつい深入りしてしまった。いったん鳥居のあるところまで戻り、下に続く階段を降りると末吉宮の建つ岩塊の真裏に出た。さすがに拝所はないが、ここも異界めいている。岩塊を回り込み、石段を上るとひときわ高いところに懸造りの本殿が建っていた。拝殿は大正二年に倒失し、磴道(石段)と本殿は昭和十一年に国宝に指定されていたが、太平洋戦争で被災し、昭和四十七年に復元されている。磴道は県指定の文化財のため、手前の祭場から参拝する。




由緒は琉球神道記に拠ろう。原典(出典*2)と拙訳を掲載しておく。


末好権現事

紹運第五代封尚泰久ノ時。天界寺前住鶴扇和尚莊年ノ頃ヲヒ倭修行ノ時。熊野ノ方ニ向テ誓テ云。我学成就セバ。帰国本位ノ後参詣スベシト。既シテ学成国に還り住持遂ル故ニ。国王ニ暇を請上リ祈誓ヲ遂ントス。王許給ハズ。請コト亦頻ナリ。有時夢ニ人来テ云。師志ヲ遂ントセバ。是ヨリ北山ニ向テ高声ニ呼べシ。応ズル處ニ験アラン。其所既居所也。我ハ是熊野権現也ト見ル。希有ノ思ヲ成テ一峯ニ至リ音ヲ揚。前山ニ響アリ。其處ヲ尋至ニ。崎嶇嶃岩(キクセンガン)トシテ宛。霊地也。人迹ノ及所ニ非ズ。此ニ一ノ鬼面アリ。即チ験トシテ拝ス。此由ヲ王殿ニ奏ス。国王亦霊夢在ス。此ノ義虚カラズトテ。其地ニ大社ヲ起ッ。因ニ古鏡一ツ見拾タリ。師殊ニ以貴デ内陣ニ蔵スト。仏殿ノ本尊ハ医王薄伽梵ナリ。垂迹ハ知ベシ。


第五代琉球国王、尚泰久の御代、鶴扇という僧が大和での修行の成就を熊野権現に祈願し、叶えば熊野に参詣すると誓った。修行ののち帰国した鶴翁は国王に熊野参詣を何度も願い出るが、なかなか許しが得られなかった。そんなある時、夢に熊野権現が現れて「志を遂げようとするならそこから北の山に向かって大声で呼べ。応ずるところが私のいるところだ」とのお告げがあった。不思議なことだと思い、早速北の峯に向かい、声をあげてみると前の山から響きがあった。尋ねていくとそこは険しい岩山の霊地で、人が足を踏み入れないところだったが、ここで鬼面を見つけ、これがなによりの証拠と拝した。この話を国王に申し上げたところ、国王も同じ夢を見ており、これを無下にしてはならないと、そこに社殿を立てた。因みにここで拾った古鏡は内陣に納められている。本尊は医王薄伽梵(注*1)、垂迹はいうまでもない。


この末吉宮の由来譚には長谷寺の観音縁起や石山寺霊験記などの影響が見てとれる。即ち、聖地成立につながる夢告、巌(岩山)、懸造りの社殿、そして水である。(末吉宮のあたりは湧水地でもあり、ホタルが観察できる)。だが、大和の影響のみで聖地となったとするのは早計だろう。琉球八社の他社においても、洞窟やビジュル(霊石)など、もとより民間の信仰が寄せられていた場とされる。むしろ沖縄の仏教受容、権現信仰にこと寄せて、鶴扇ら留学僧や大和から漂着した補陀落僧たちがこれら民間の拝所に王府の庇護を仰いだと見る方が妥当のように思える。



聖地はそこになんらかの聖性を感得した人々がつくりだす空間である。琉球八社の多くが往古から神聖視されていたとするなら、それは景観だけによるものではあるまい。波上宮は大巌の崖上に建ち、沖宮の元宮もこの近くにあった。ニライカナイを拝していたというが、崖下は風葬の場だったのではないか。また、普天間宮、天久宮、識名宮、金武宮は洞窟信仰に由来しており、これらも葬所であった可能性がある。こうしてみると神社とは称しているものの、その本質は祖神を祀る御嶽に近いように思われる。


末吉の山は末吉宮のみならず、子之方の拝所群を寄せている。そこは異界としかいいようのない場所だったが、人々を惹きつけてやまないものがあるのだろう。昨今、宗教のありようを問う声が喧しい。片や日本人は無宗教であるとの言説も根強い。僕たちは信仰、或いは宗教について、そろそろ腰をすえて考えてみる必要がありそうだ。


(2022年8月30日)


注)

*1 医王は薬師如来、薄伽梵(ばかぼん)は仏の称号。(天才に非ず。筆者)


出典)

*1 宮家準「沖縄における仏教の伝播と受容」 宗教研究218号(47巻3輯) P186-188 日本宗教学会第32回大会紀要 昭和49(1974)年3月  https://jpars.org/journal/database/wp-content/uploads/2019/01/218.pdf

*2 良定他「琉球神道記」 P52-53 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040100


参考)

加治順人「沖縄の神社」ひるぎ社 2000年

五来重「熊野詣-三山信仰と文化-」講談社学術文庫 2008年

呉海寧「琉球における『「天』の観念の基礎研究」 平成 27 年度 博士学位論文 沖縄県立芸術大学大学院 http://www.okigei.ac.jp/PhD/wp-content/uploads/2017/01/c1effe6e958f9af11c1852393bfc0e45.pdf

西郷信綱「古代人と夢」平凡社 1993年

平敷令治「神社と廟-沖縄本島を中心として」 谷川健一編「日本の神々-神社と聖地-第十三巻 南西諸島」所収 白水社 1987年

縮刷版 日本宗教j事典 平成6年 弘文社