久渡寺:青森県弘前市坂元山元1

 

参道の長い石段をゆっくりと登る。石段は途中から急勾配となり、息が乱れる。登りきると秘仏の本尊、聖観音像を安置する赤い観音堂が迎えてくれる。今年は三十三年に一度の御開帳で、仏様は本堂に移されているようだ。訪れた時はちょうどその期間に当たっていた。久渡寺の概要は最近できたというホームページに譲ろう。

 

青森県弘前市坂元に所在する真言宗智山派寺院。山号は護国山。院号は観音院。等級は15等。津軽三十三観音霊場第1番札所で、最勝院や百沢寺(現 求聞寺)、橋雲寺、国上寺とともに津軽真言五山の一つでもある。本尊は円仁(慈覚大師)の作とされる聖観音。もとの最勝院末寺である。また、王志羅講(大白羅講)や円山応挙作と伝わる幽霊画でも著名。(出典*1)

 

久渡寺を訪れたのは、津軽の巫者にとって欠かせない霊場のひとつと知ったからだ。写真家、民俗学者の内藤正敏は「婆バクハツ!」(1968-1970)の中で、恐山、川倉地蔵堂、赤倉宝泉院、高倉稲荷神社、弘法寺、そしてここ久渡寺に集う婆さまとイタコをとりあげている。僕は三年前に東京都写真美術館で催された写真展「異界出現」でこれら写真を見たが、その印象は強烈で当地の民間信仰、聖地のありようにじかに触れてみたいと思うきっかけとなった。久渡寺は真言宗智山派の寺院だが、観音霊場、修験行場でもあり、金蛇八代龍神を鎮守とする龍神信仰も見える。前稿の弘法寺に同じく、さまざまな信仰が混淆するが、そのことが巫者の霊験につながるのだろうか。

 

境内には観音堂のほか、近年建立された白衣観音像、馬の石像、白山堂、稲荷堂、熊野堂などの堂舎が立ち並ぶ。国見台に向かう手前には観音石仏群があった。川倉の石地蔵や弘法寺の花嫁人形に同じく、夥しい数の観音さまが整然と並んでいる。蝉しぐれの中、めまいを覚える。一体一体に込められた奉納者のおもいが、蝉のからだを借りて喚いているかのようだ。汗を拭い、気を取り直して石仏に刻まれた奉納者の住所を見てみると、函館、札幌の名が見え、その数もかなり多い。信仰圏は思いの外広いらしい。久渡寺はオシラ講で知られるが、北海道にも道南中心にオシラサマが200体以上あり、青森や岩手からの移住者やイタコなど巫者によって持ち運ぱれたらしい。久渡寺に参拝し、オシラサマ遊ばせを行う人も多いようである。(参考*1)

 

 

 

 

本堂は観音堂から左手を少し戻ったところにあった。引き戸を開けて中に入る。秘仏御開帳の拝観受付があって、拝観料を納めて堂内に上がった。

 

と、右側に四列、白い布が敷き詰められている。なんだろうと思う間もなく、寺僧から説明があった。いわゆるお砂踏みである。四国八十八ヶ所霊場の砂を踏みながら礼拝することで遍路と同じ功徳が得られ、遠方で巡礼に行けない人のためにここ東北でも行っているという。「え、これやるの?」と思ったが、お鈴を鳴らしながら読経がはじまってしまった。尻込みするわけにもいかず、数人の参拝者とともに間隔を開けながら順番に札所の砂を踏んでいく。足裏マッサージのようで妙に心地よい。最後まで踏めば結願となるのだが、うーん、願いねえ。煩悩まみれの当方はあり過ぎて絞れない。

 

 

十分ほどで場に居合わせた全員のお砂踏みが終わり、いよいよ秘仏の拝観。と思いきや、今度は参拝者の健康を願って加持を行うという。内陣の右側の部屋に入ると正面に不動明王、その前に卷族。不動明王は大日如来の化身云々とひとしきり講釈があり、真言が唱えられる。一同は目を閉じて手を合わせ、こうべを垂れる。最後に散杖と呼ばれる細い木の棒で、一人ひとりの頭に香水がふりかけられる。灑水(しゃすい)というらしい。お浄めのようなものである。

 

やっと御本尊と対面する。三十三年に一度というが、前回は諸事情で開帳に至らず、昨年もコロナ禍で一年延期されたので、実に72年振りとの由。聖観音像の前の椅子にめいめいが座し、前説を聞いた後、拝礼した。仏像に明るくないので価値はよくわからないが、凛としたお顔で、お姿は中肉中背、黒檀を彫ったものか色は漆黒だ。左手は珍しく印を結んでおらず、掌は正面を向いている。

(聖観音像の左掌)


説明では迷い苦しむ衆生に「大丈夫だよ」とのメッセージを送っているという。秘仏ゆえ画像はないが、近寄りがたいところはなく、シックで嫌味のない仏像だった。しかし、真言寺院の秘仏が天台の高僧の手によるものとはこれいかに、である。

 

(出典*1)

こちらはさきほどから内陣の右手にあったオシラサマ一対が気になって仕方がない。加持を施していただいた寺僧に聞くと、どうやら預かりもののようだ。「オシラサマは本来それぞれの家でお祀りするものなんですね。実はきょうの午前中にオシラ講をやってましてね。二十人ほどの方がめいめいオシラサマを携えていらしてたんです」。え、年一回春に行うのではなかったのか。もう少し早く来れば様子を垣間見ることができたかもしれない。「オシラサマにもいろいろありまして、このあたりのオシラサマはあのように着飾るんですね」。金糸の刺繍が施されたきらびやかな衣装は高僧の袈裟のようにも見える。寺院ということも関係しているのだろうか。内陣の隅には、大きな衣紋掛けに何本もの木杭を据え付けた雛壇のようなものがあった。オシラサマを乗せる壇とのことだ。

 

オシラサマは柳田國男の「遠野物語」に馬娘婚姻譚として紹介されているが、東北一帯、特に青森、岩手に多く見られる家の神で、養蚕、馬に象徴される農耕神である。多くは桑の木の棒にオセンダクと呼ばれる布を纏わせた男女一対の神体で、家々では春と秋にイタコに祀ってもらう。作物の豊凶を占うのみならず、災厄を予告したり、一家を守護するともいわれ、粗末に扱うと口が曲がったり、嫌いな肉や卵を供えると祟る場合もあるという。

 

久渡寺の王志羅(大白羅、オシラ)講は明治三十年にはじまったとされる。青森県立郷土館ニュースではかつての講の様子を以下のように伝えている。

 

この2枚の写真は昭和31(1956)年ごろに撮られた久渡寺の「大白羅講」の写真です。オシラ講には自分たちの家の神様であるオシラサマを持ち寄って遊ばせます。オシラサマをまつることを「遊ばせる」といいます。久渡寺のオシラ講には、自分たちのオシラサマに新しい服(オセンダク)を着せて持って行きます。オセンダクに印をもらい本堂にまつります。この印をもらうことによって、その度にオシラサマの位が一つずつ上がっていくそうです。本堂では護摩を焚き、住職によって祈祷やお祓いが行われます。上がその写真です。祈祷が終わると、イタコが津軽三十三観音の御詠歌とオシラ祭文を唱えて終了です。そして、位の上がったオシラサマを受け取って帰りました。下の写真は、イタコの口寄せです。オシラ講には津軽のイタコが大勢集まり、仏(死人)の口寄せが行われていました。現在では、イタコも高齢化や跡継ぎ不足等で人数が激減し、久渡寺のオシラ講でもイタコの姿が見られなくなってきました。現在、久渡寺のオシラ講は国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されています。(県立郷土館・豊田雅彦、写真はいずれも佐々木直亮氏撮影)(出典*2 写真二葉とも)

 

それにしても、なぜ久渡寺でオシラ講がはじまったのだろうか。憶測に過ぎないが、久渡寺の檀家の法要に合わせてオシラサマを祀った、なんらかの理由で祀ることが叶わなくなったオシラサマを寺で預かるなどしたところにイタコが関わった、或いはその逆かもしれない。イタコの主な職掌には口寄せだけでなくオシラサマ遊ばせがある。家々でオシラサマを祀るにもイタコの存在なしには不可能であり、イタコが激減した現代において、オシラサマを祀る「場」が必要とされることはいうまでもないだろう。こうした信仰はなかなか途切れるものではない。また、講中の中高年女性にとっても、オシラサマを遊ばせることは楽しいことのようだ。最後のイタコと呼ばれる松田弘子は、同名の著書の中でこう記す。「オシラ様遊ばせには、家を守る神事という側面のほかに、もうひとつ大切な役割がありました。それは、今風に言うなら『女子会』としての役割です。その昔、家事や労働に忙しい女性たちが一堂に会する機会はほとんどありませんでした。そんな女性たちが堂々と集まる数少ないチャンスが、オシラ様遊ばせでした」。(出典*2)

 

オシラ神信仰は東北六県それぞれに存在し、その呼称、形状、祀り手、祀り方、祭文、禁忌等はさまざまで、決して一様ではない。また、この神の起源についても、日本固有の信仰とする説、アイヌなど北方を起源とする説など百家争鳴である。ただ、シャーマニックな習俗を背景に持つ民俗神であることは間違いがなく、既成宗教の枠組みから遠く離れたところで今も生き続けていることに関心が向かう。そこには現代に接続する”何か”が脈々と息づいている。

 

イタコやカミサマの聖地をいくつか訪ねてきたが、あらためて思うのはそのいずれもが今も庶民の願いを聞き、救済する場だったということだ。こうした場は半世紀ほど前まで日本各地に数多あり、幕末以降の新宗教の聖地などもそうした受け皿として機能してきた筈だ。だが、人の結びつきやつながりが稀薄になった現代においては、メディアを通じた現世利益への処方箋が、既存の宗教や信仰にとって替られているように思える。四半世紀前のカルト教団の興隆、これに続くスピリチュアルブーム、昨今のマインドフルネスや瞑想などは、僕たちの意識下の水脈がなにかのきっかけで地表に湧出したものと見ることもできる。巫者のユーチューバーがいても少しもおかしくない時代だ。もしかすると、もう既に存在しているかもしれないのである。


(2021年8月8日)

 

出典

*1 久渡寺ホームページ https://kudoji.com/

*2 松田弘子「最後のイタコ」扶桑社 2013年

*3「写真で見るあおもりあのとき 第95回 久渡寺のオシラ講 各家が神様持ち寄る」 青森県立郷土館  https://kyodokan.exblog.jp/18439252/

 

参考

*1 増子美緒「オシラサマ信仰における地域的展開の諸相 : 近代北海道を事例として」文化/批評 2009年創刊号 国際日本学研究会 https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/75752/cac01_211.pdf

柳田國男「遠野物語」 柳田國男全集4 ちくま文庫 1989年

遠野市立博物館 「オシラ神の発見」 2000年