御劔社(伏見稲荷大社):京都府京都市伏見区稲荷山官有地16
稲荷大神はおそらく日本の神々の中でもっとも多く祀られている神だろう。全国で三万社以上を数え、屋敷神など個人で祀っているものまで含めればさらに膨らむ。その総本宮が伏見稲荷大社だ。参拝者はこの五年間で八倍に増え、昨年は年間一千万人という驚異的な数になっている。国内の参拝者がそれほど増えるとは思えない。内訳がほぼインバウンド観光客だとすれば、少なくとも八百万人程度が訪れていることになる。エルサレムを訪れる観光客が年間四百万人なので、二倍もの外国人が押し寄せているのだ。数だけなら世界一の聖地といっても過言ではない。

前置きが長くなった。狐の件はいつか詳しく触れることにして本題に入ろう。伏見稲荷大社の聖性の一端を近現代において象徴するのが「お塚」である。稲荷山を訪れた方はおわかりのように熊鷹社あたりから先を行くと、参道の両脇に所狭しとお塚が立ち並び、巨大な「お塚団地」の様相を呈する。手元の参考書にはこう解説されている。「個人が石に神名を刻んだ『お塚』を稲荷山中の神蹟周辺に奉納する信仰が、明治以降に盛んとなった。お塚の多くは末広大神や薬力大神など、個人が稲荷神に寄せる信仰に基く神名となっている。昭和の初期に約二千五百基だったお塚は次第に数を増し、現在は一万基を超えるという。朱の鳥居と同様、稲荷神に対する人々の強い信仰を表している」(出典*1)


お塚をはじめて見ると不気味な印象を受けるだろう。それらは墓石をイメージさせ、陽光の下でもどこか薄暗く、黴臭い。石塔の背後には物の怪が隠れていて、にゅっと出てきそうな感がある。それが、大小とりまぜ夥しく蝟集しているのだ。参拝者の方々には失礼だが、いったい何を拝んでいるのだろうか。神名はさまざまであり、祀られた神々のプロフィールさえ明らかでないので戸惑う。参拝者が盛んに唱えるのは祝詞もあるが、聞こえてくるのはもっぱら般若心経である。神仏習合ここに極まれり、というよりも神仏を含めたあらゆる霊性が習合しているのがお塚なのだろう。そんなお塚群に囲まれて御劔社(または長者社)はある。

つまり、伏見稲荷大社の創祀とは異なる神祀りの文脈が、お山の中にあったのではないかということだ。神話の解釈と歴史を紐づけることなど荷が重すぎるのでこのくらいにしておくが、山城国に先住したのが賀茂氏であったならば、これはあり得る話かもしれない。ちなみにそれぞれの創祀は、賀茂社が天武天皇白鳳六年(661年)、伏見稲荷大社が元明天皇和銅四年(711年)に比定されている。よって、この磐座を賀茂氏が秦氏に先んじて祀っていたことも考えられる。聖地の場所は動かないが、祀られる神々は歴史の経過によって上書きされることが多々あるのだが、御劔社の場合は磐座という形ある「存在」がそのまま残され、今に至っているのではないだろうか。
古代思想史、民俗学者の山上伊豆母は、お塚の原型は磐境、磐座であり、岩石崇拝の本質は雷神及び龍神だという(参考*2)が、ここに密集するお塚は劔石に吸い寄せられたという見方もできる。他にもこうした磁場のような場所は稲荷山の山中に点在しており、それらが七神蹟ということもできるだろう。
前述の山上氏は、伏見稲荷大社の「お山のお塚」という書籍を引き、こうも記している。「(前略)まったく不規則に存するのではなく、最も奥山の『一ノ峰』の上社神蹟、『二ノ峰』の中社神蹟、『三の峰』の下社神蹟を中心にそれぞれ円陣をえがき、いわばストーン・サークル状に配されている。『お塚』にはそれぞれ三柱の神名が付されているので、神名数は合わせて約三万を数え、『お塚』の一つ一つが渦巻状に番号を登録されていることも興味を引く」。(出典*2)

平面図にするとお塚は人知れずマンダラを描いているかもしれない。伏見稲荷大社の宇宙はいったいどこまで広がっているのだろうか。その全貌は杳としてしれず、なんでも飲み込んでしまうあたりはブラックホールさながらだ。日本人の民間信仰を明らかにする上で避けて通れない場所といえよう。次に取り上げるときは、荼枳尼天や宇賀神などとの習合や、修験や巫者と狐やお塚の関係などシャーマニックな視点からも考えてみようと思う。
(2020年1月18日、2017年12月9日)
出典・参考
*1 「稲荷大神」中村陽監修 戎光祥出版 2009年
*2 山上伊豆母「伏見稲荷大社」
谷川健一編『日本の神々-神社と聖地』第五巻「山城・近江」、白水社 1985年
近藤喜博「稲荷信仰」塙書房 2006年
島田裕巳「日本の8大聖地」光文社 2019年