ホコジマ:和歌山県田辺市本宮町川湯

紀州が生んだ碩学、南方熊楠は、柳田國男の「ひだる神のこと」という小文の呼び掛けに応えて、「ひだる神」というエッセイを雑誌「民族」に寄せ、その中でホコジマをとりあげている。熊野にはこの「ホコジマさん」や「まないたさま」「黒尊佛」など、名前を聞いただけでわくわくするような聖地が数多くあるが、それらの多くは「巨巖」を神体としている。


「『俗諺志』に述べたような穴が只今雲取にありとは聞かぬが、那智から雲取を超えて請川に出で川湯という地に到ると、ホコの窟というて底のしれぬ深穴あり。ホコ島という大岩これを蓋う。ここで那智のことを咄せば、たちまち天気荒るるという。亡友栗山弾次郎氏方より、元日ごとに握り飯をこの穴の口に一つ供えて、周廻を三度歩むうちに必ず失せおわる。石を落とすに限りなく音して転がり行く。この穴、下湯川とどこかの二つの遠い地へ通りあり。むかしの抜け道だろうと聞いた。栗山家は土地の豪族で、その祖弾正という人天狗を切ったと伝うる地を、予も通ったことあり。いろいろと伝説もあったどろうが、先年死んだから尋ぬるに由なし。この穴のことを『俗諺志』に餓鬼穴と言ったでなかろうか。また西牟婁郡安堵峰辺ではメクラグモをガキと呼ぶ。いわゆるガキが付くというに関係の有無は聞かず」。(出典*1)

熊楠が書いた通り、ホコジマは千人風呂で知られる川湯温泉と渡良瀬温泉を跨ぐ飯盛山の山中にある。いまこの二つの温泉はトンネルでつながっていて、歩いても十分とかからない距離にあるのだが、それまではこの山を越えていたのだろう。低山であり、一応旧街道も通っているというので、熊野への旅でいつもお世話になる「み熊野ねっと」(参考*1)の記事を頼りに行ってみることにした。
渡瀬温泉バス停。後ろに見える山が飯盛山。

実は昨年訪れた時には途中で道を見失ってしまい、帰りのフライトに間に合わないと断念したのだ。今年の再訪では入念にあたりをつけた。ホコジマは、誰かがグーグルマップにプロットしているのだが、その場所が正しいとすれば、昨年は見当違いしていたことになる。iPhoneの位置情報サービスをオンにして、現在地との距離を測りながら登っていくことにした。

訪れてみたいと思う方のために大まかな道を記しておく。バスなら渡良瀬温泉バス停で下車。僕は車だったので、近くの誰にも咎められないだろうと思われる私有地に停めさせてもらった。(スミマセン)バス停から川湯温泉入口のトンネルの方に戻ると、右側に石段が見える。ここが登山口になる。
それなりに踏み跡はあるのでこれに従って歩いていく。ピンクのビニールテープが樹々に巻き付けられており心配することはないが、おそらく山林保持作業のために自治体の職員がつけた目印だろう。
これが道を見失う原因にもなるのでよく注意したい。先年からの台風の影響もあり、倒木だらけで道は荒れている。けもの道のようだが、よく目を凝らせばそれとなく道はわかる。
途中、数基の墓が立つ場所に出る。ここが一つ目の岐路だ。回り込むと向かって左側(つまり東側)に辛うじて道らしきものがあるのでここを行く。深い谷が見えたらその手前を登っていくと、かなり広い林道に出る。ここが二つ目の岐路。
写真真ん中あたりに細い道がある。
広い道をそのまま東に行ってはいけない。先は崩落しており、地割れもあったので危険だ。昨年はここで間違ったのだ。よく見ると東南にさらに細い道が続いていた。ここまでで約十分。
一の鳥居
さらに十分弱歩くと四辻に出る。左手の道の先に一の鳥居が見える。もう道には迷わないと安心する。それにしてもここまでの道はひどい荒れようだ。もはや生活道ではないので仕方がないのかも知れないが、打ち棄てられたような感じで、登っていてあまり気持ちのよいものではなかった。だが、この鳥居のあたりで空気は一変する。とても大きななにかに包まれているような気がしてくるのだ。さらに進むと二の鳥居がある。左側はトタンでつくられた小屋が倒壊している。石段が見えてくる。上ればホコジマだ。
二の鳥居
倒壊した小屋
ホコジマと呼ばれた巨巖はかつてここに屹立していたのだが、先の終戦前後にあった二度の地震で谷底に滑落してしまったといわれる。高さ10m、周囲15mもあったというが、どんな形だったのだろうか。いまそこには木造の祠が立つだけだが、注連縄も紙垂も蜜柑も新しい物が供えられており、未だ祈りが絶えていないことがよくわかる。宗教人類学者、植島啓司氏は「本宮旧社家だったこの地方の有力な二家がこの磐を祀っていたことが知られており、神武天皇のとき、高倉下命(たかくらじのみこと)がここで剣を得たとも伝えられる。いわば、それは神倉神社におけるごとびき岩のような存在だっと思われる」と記している。(出典*2) 仮にそうだとすれば、いわゆる陽石だったのかもしれない。

この祠の後ろには巨大な岩盤状の岩がある。植島氏は「いまも残るはハチジョウさんと呼ぶ洞穴のある部分のみ。そこにはホコジマのお使いが住んでおり、昔から供物(生魚)をおいて岩のまわりを三度回るうちに必ず供物はなくなっているという。おそらく狼のしわざではないかとも伝えられている」と南方熊楠の聞き伝えを紹介し、続けて「ここが古くからの山林修行者信仰の地であることは明らかであって、玉置神社との関係についてもわずかながら言い伝えが残されている。熊野をめぐっては縦横無尽に山林修行者の行跡がはりめぐらされているわけだが、その名残のひとつであることは間違いなさそうである」としている。
ハチジョウさん?
これが洞穴だろうか。

かつてホコジマを訪れたことのある友人がいる。その友人は「歩いていてずっとイヤな気配があった。地の底からなにかを訴えかけられているような禍々しい感じで、正直に言って引き返そうかと思った。が、一の鳥居があるあたりからその感じはなくなり、一気に空気は澄み渡り、心身が楽になっていった」と話した。僕の感じたことに近い。僕たちはひょっとして「ひだる神」、餓鬼にとり憑かれたのだろうか。南方熊楠が記したように、餓鬼穴を塞いでいたのがホコジマだったとすれば、いまその穴を塞いでいるのは祠とその下の石壇で、巨巌ではないのである。この聖地を辛うじて守っているのはハチジョウさんなのかもしれない。
ハチジョウさんのあるあたりから、谷底を覗き込む。荒れた山、人の入らなくなった山は、怨恨を抱くのではなかろうか。山もまた生き物なのである。
(2020年3月21日)

出典
*1 「南方民俗学」南方熊楠著 中沢新一編 河出文庫
*2 「熊野 神と仏」植島啓司・九鬼家隆・田中利典著 原書房 2009年

参考
「妖怪談義」柳田國男全集6所収 ちくま文庫
み熊野ねっと https://www.mikumano.net/meguri/hokojima.html